2022年5月8日(日)
一人で神との過ごす訓練
Practise Being Alone With God

「しかしイエスは、寂しい所に退いて祈っておられた。」 (ルカ5:16JA1955)

孤独には良いことがあります。孤独の価値をあなたが理解していないと、人生の多くを見逃すでしょう。神とだけの時間を持つのは、とても大切なことです。啓示を受けるには一人でいる時間が必要です。主との個人的な交わりの時間を持つことの価値を知ると、あなたは自分の人生に起こる変化と、神の御業においてとても効果的である変化に驚くことでしょう。

主とのプライベートな時間を決して軽く見てはいけません。あなたには、時々、あなたに会おうとしたり、あることについて話したりする必要があるために、訪問する人たちがいるかもしれません。賢くなってください。もしあなたが、ほとんどの時間を他人とたわいもないおしゃべりに費やし、御霊と交わる時間を少なくしているなら、人生において多くのことを成し遂げることはできないでしょう。

イエスは、神と一人だけで過ごす時間の価値と力を理解されていました。マタイに14章23節に「 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた」とあります。今日の御言葉は、イエスがしばしばそのようになさったことを示しています。しかしイエスは、寂しい所に退いて祈っておられた。」 (ルカ5:16JA1955)。皆がイエスの注意を引こうと騒いでいる時に、イエスは祈るために寂しい所に退かれたのです。

実は、ある時、イエスは祈りに行かれるために、「逃れる」という行動で、人々はイエスを探したりしました。聖書には「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間は、イエスを追って来て」(マルコ1:35―36)とあります。同じことを実践してください。毎日、神と個人的な時間を持つように努力しましょう。

祈り
愛する父よ、主と交わりながら過ごすとき、私の人生における主の栄光の強さは増していき、私は栄光から栄光へと変化していきます。私は勝利、神性の健康、祝福を経験します。私の人生は、主の超自然的な恵み、栄光、完全さ、美しさ、義の表現なのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(エペソ6:18)すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

(詩編1:1-3)幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

(マタイ6:6)あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。