2022年5月27日(金)
クリスチャンの歩み
The Walk Of A Christian
「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」(エペソ 4:1)
キリスト教の原動力の一つは、今日の御言葉に出る「歩む」という言葉から由来しています。クリスチャンの歩むべきことがあります。あなたが新しく生まれたとき、神がまずあなたの学びについて願われたことは、毎日の生活の中で、どのようにキリストのうちに歩むかということです。コロサイ2章6節には「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい」(コロサイ2:6)と書かれています。
あなたが毎日をどう生きるか、人とどう関わるか、神とどう関わるか、どんな心を持つか、これらは神にとってとても大切なことなのです。クリスチャンには、必ず歩まなければならない生き方があり、その生き方は彼をノンクリスチャンと区別するようにします。新しく生まれ変わったにもかかわらず、クリスチャンらしい生活を送れない人がいるかもしれません。実際、ある人は、クリスチャン生活が本当は何なのかさえ知りません。しかし、聖書には「そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません」(エペソ4:17)とあります。
これが、教会や牧師が重要である理由の一つです。霊的生活には訓練が必要とするためです。神はご自分の子どもたちを信仰者の集いや教会集会に招き、御心にかなった牧師に彼らが訓練し、教え、御言葉を通して彼らを建て上げるのです。(エペソ4:11-14を読んでください)。
神は、キリストを受け入れ、教会の一員となったすべての新しい人が、教会において、クリスチャンとしての歩みを訓練されることを期待されています。そして、その理由を教えてくれています。「それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく」(エペソ4:14)。
15節では、最終的な結果として成長について述べられています。「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。」クリスチャンとしての歩みは、幼いクリスチャンだけのものではありません。あなたは新しく改心した者として学び始めますが、神はあなたが成熟するまで成長し、信仰にしっかりと根を張り、神の名を賛美し栄光をもたらすために日々勝利して生きることを期待されています。
告白
福音によって、私は世から離れ、神に向かい、不義から義に向かい、闇から光に向かいました。私は神の事について訓練され、教育されるために心を開いています。そして、御言葉と聖霊によって、私は成熟に向かって成長し、信仰にしっかりと根を下ろして、常に勝利して生きていきます。アーメン
参照聖書
(第一テモテ3:15)それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。
(第一ペテロ2:2)生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
(エペソ4:1 AMPC)さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。