2022年5月28日(土)
音楽は歌詞以上です
Music Is Beyond Lyrics

「 神はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神として現われたが、主という名では、わたしを彼らに知らせなかった。」(出エジプト6:2-3)

長年、神の家に忍び込んで、人々の人生を台無しにしてきたものがあります。そして、多くの人はそれを全く知りません。例えば、今日、いくつかの教会で行われているさまざまなスタイルの音楽やダンスは、どこから来たのでしょうか。そのような音楽や踊りの背後には、どのような霊がいるのでしょうか。ある音楽や踊りの背後にある霊が重要なのです。

例えば、あるクリスチャンがレゲエ音楽を好んで歌ったり踊ったりしているとしたら、レゲエ音楽を評価するのと同様に「レゲエ音楽の源は何か」ということを考えなければなりません。音楽は歌詞だけではありません、勘違いしないでください。 音楽の音は音楽の源と同じくらい重要なのです。

ある種の音楽は、知らないうちに人の人生に悪魔を引き寄せる可能性があります。神は、私たちが人生のある期間だけ聞くことを許され、しばらくすると、それが神の許容範囲内であったことを知るようになり、神は変化を要求されることがあるのです。神がその変化をもたらすとき、私たちは喜んでそれを受け入れなければなりません。

今日の御言葉の中で、私たちは、神がモーセに言われた内容をみます。「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神(エルシャダイ)として現われたが、主という名では、わたしを彼らに知らせなかった。」なぜこれが重要だったのでしょうか。モーセは、エルシャダイに関する啓示では、イスラエルの民をエジプトから連れ出すことができなかったのです。モーセは「主(エホバ)」の啓示を必要としました。そして、モーセは主の手によって、イスラエルの民をエジプトから救い出すことができるのです。まさにそれが、モーセに与えられた啓示の目的でした。

同様に、私たちが主の再臨を準備するとき、御霊の導きと主の言葉からの啓示に基づいて変えなければならないことがあります。特に音楽を通して、主が私たちに望んでおられる生き方、仕え方、礼拝の仕方があるのです。私たちの心は開いて、主の導きと矯正を喜んで受け入れなければならないのです。神をほめたたえます。

祈り
父なる神よ、知恵と訓練の宝を私に解き明かし、私が主への礼拝において義の道を歩むように、私の霊に霊的な実在について示してくださったことを感謝します。私の賛美と礼拝は、主に捧げるこうばしい香りのいけにえとして、すべての世俗的なものと不純なものを洗い流した心から捧げられるのです。アーメン。

参照聖書
(使徒17:30) 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。

(第一ヨハネ2:15) 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。

(第二コリント6:17 GNB)それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、