2023年9月24日(日)
キリストとその教会
Christ And His Church

「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:22-23)

キリストと教会は一つです。キリストはかしらであり、私たち教会はキリストの体なのです。私たちはキリストと切り放されることのない一体です。たとえば、使徒の働き9章3-5節では、主と後にパウロと呼ばれるタルソのサウロとの対話の中で、キリストと教会の一体性について明確に言及されています。

聖書にはこう書いてあります。「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。わたしは、あなたが迫害しているイエスである。先のとがった突き棒をけるのはあなたには痛いことだ。」(使徒の働き9:3-5)

サウロは回心する前まで、初代教会に大混乱をもたらし、至る所でクリスチャンを迫害していました。しかし、それは彼が主と出会う前のことでした。主は彼に現れてこう尋ねました。「…サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」主はご自分と教会を非常に親密に同一視したのです。教会に対して犯した罪や悪は、すなわちイエスに対する罪であり、悪なのです。主は私たちと一体なので、それを主にした事として受け止めるのです。

主はぶどうの木であり、教会である私たちは枝なのです。主は教会のかしらです。「また、御子はそのからだである教会のかしらです…」(コロサイ1:18)。かしらと体は同じ名前、権威、アイデンティティを持ち、私たちと共にキリストと呼ばれているのです!

私たちはキリストの体につくバプテスマを受けました。第一コリント12章27節はこう言っています。「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」 また、第一コリント12章13節には、「…一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」教会は、キリストである頭や体が持っている名前、つまりキリスト以外の名前には応答しないのです。

この事実は、あなたが誰であり、どこにいるか、何を持っているのかを理解させるのです。あなたはキリストと一つです。キリストが死者の中からよみがえられたとき、あなたはキリストとともによみがえったのです。キリストが王座に着かれた今、あなたはキリストとともに、支配と栄光と権威の座に着いているのです。神に祝福を褒めたたえます!

告白
祝福された父よ、あなたはなんと素晴らしい方でしょう! 私がキリストと切り放されない一体であることを感謝します。私を、宇宙の君主と同一視される崇高な結びつきとに導いてくださったことを感謝します。今、私は支配、栄光、権威の座にキリストと共に着いています。私は聖霊の力によって状況や事態を支配し、統治しています!イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(エペソ:5:29-30)だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。私たちはキリストのからだの部分だからです。

(1コリント10:16-17)私たちが祝福する杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。