You Must Keep Bearing Fruits
「イエスは、このようなたとえを話された。『ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。そこでぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』(ルカ13:6-9)
上記の御言葉は、主イエス・キリストが神の御国での実の重要性について強調し、例えで言われた箇所です。ぶどう園の主人は、あるいちじくの木の実りを待ちましたが、実りませんでした。そこで、ぶどう園の番人に言いました。「木を切り倒しなさい」 しかし、番人はもうすこし肥料を足すので、時間をくださいとお願いしました。おそらく最終的には実を結んだことでしょう。そうでなければ、その木は切り倒されたことでしょう。
ぶどう園で、実を結ばない木には価値がありません。同様に、クリスチャンは、主のぶどう園にて、義の実を結ぶ木であり実を結ぶことが期待されています。(イザヤ61:3) 義の実を結ばないクリスチャンは、ぶどう園の主人が切り倒せと言われているいちじくの木のようです。「・・・何のために土地をふさいでいるのですか?」 つまり、どうして、良い土地を、実を結ばない木のために無駄にしているのですか?ということなのです。
いくつのクリスチャンは、ずいぶん前に生まれ変わったにも関わらず、キリストに一人の魂も導くことができませんでした。彼らは他の人を教会に導いたことがありません。それは、実を結ばないいちじくの木のようです。もしあなたがそうなら、今日変わらなければなりません。まず、主に許しを求め、今日あなたが誰かにイエス・キリストについて証となれるように導いてくださいと祈りましょう。イエスがあなたにとってどのような方なのか、そして、イエスの救いの恵みについて今日から他の人々に話すことから始めましょう。
パウロは言いました。「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。」(Ⅱコリント5:14) 主のために、実を結ぶことに熱心さを持ちましょう。主があなたに実を結ぶことを望んでおられるからです。
祈り
愛する天の父よ、あなたの御言葉によって励まし、教えてくださりありがとうございます。私は、いつも実を結ぶよく水やリがされた庭のようです。私は、実を結んでいる神のぶどうの木であり、義の木だから続けて義の実を結んでいます。イエスの御名で祈ります。アーメン。
参照聖書
ヨハネ15:1-2 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
ヨハネ15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
Ⅱコリント5:14-15 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。