Our Prayers As Incense
「彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱいはいった金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。」(黙示録5:8)
旧約聖書では、主は朝と夕に幕屋で香を燃やすように祭司に指示されました。彼らはまた、朝と夕にいけにえをささげました。しかし、聖書は、すべてが後に来るすばらしいものの影であったと述べています。(ヘブル10:1)。神はより良く、霊的なものを望んでいました。
何年か後、使徒ヨハネは聖霊により天の領域を見、「…香のいっぱいはいった金の鉢、この香は聖徒たちの祈りである。」という驚くべき真理を明らかにしました。神をほめたたえます! 私たちが地で祈るとき、それは主の御前の香となります。ダビデ王もこのような啓示を持っていました。主は、私たちの祈りは実際に神の御前では香をたくような事であると彼が理解できるように導きました。ダビデは詩編141:2で、「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。」と述べています。
ここでの祈りは、賛美ととりなしの祈りです。礼拝で私たちは唇の果実、つまり賛美と感謝の言葉を用いて、主へ賛美のいけにえをささげます(ヘブル13:15)。私たちのとりなしの祈りは、神に届き、敵の計画を阻止し、天の領域の状況を変えていきます。これはとても霊的な働きです!
考えてみてください。私たちは祈るとき、香という香ばしい香り、すなわち神の御前にふさわしく、喜んでもらえるいけにえをささげているのです。それは、この地に良い変化をもたらす香です!これが、私たちがいつも祈らなければならない理由です。第一テサロニケ5:17では、「絶えず祈りなさい。」とあります。第一テモテ2:1-4では、「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」
神の聖徒として、私たちには祈りの任務があります。罪人が救われるように、彼らのために祈ることは私たちの責任です。私たち一人一人は、主に対して重要な賛美の務めがあります。これらのとりなしと賛美の祈りは、父の御前にささげる香です。
祈り
愛する御父よ、キリストを通して、私はあなたの御名を感謝で受け入れ、告白し、栄光とし、私の唇の果実で賛美のいけにえをささげます。これはあなたの御前にささげる賛美ととりなしの祈りです。あなたは聖なる唯一の統治者であり、王の王、そして万軍の主です。あなたは永遠に、すべての誉れと尊敬に値します。アーメン。
参照聖書
(黙示録 5:8)彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱいはいった金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。
(黙示録 8:4) 香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。
(ヘブル 13:15)ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。