2024年9月28日(土)
願いに対する神の御心
His Will For Asking
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」(1ヨハネ5:14-15)
多くの人は、今読んだ聖句を理解していません。彼らは、神に何かを求める前に、まず神にそのことを成し遂げられる意志があるかどうかを確認しなければならないという意味で理解しています。祈りは神の御心に一致しなければなりません。しかし、今日の御言葉が言っているのは、そういう意味ではありません。むしろ、この聖句が言っているのは、願いに関する神の御心に従って求めなさいということです。神の御心とは何でしょうか?
神の御心とは、あなたがイエスの御名によって父なる神に祈ることです。この真理が、イエスの御名で御父に何でも願うなら、答えられるというあなたの信仰と確信をより強める必要があります。「父よ、私の願いが父の御心にふさわしいものであるならば、叶えてください 」と祈るのは無駄な祈りです。
まず、神の御旨は神の御言葉と聖霊を通して明らかにされることを理解しなければなりません。聖霊は私たちを神の御心に導いてくださいます。したがって、神の御心通りに祈っているかどうかは、常に自分の内で確認することができます。しかし、この箇所で使徒ヨハネは、祈りそのものに対する神の御心に従って祈るべきだと言っているのです。
祈りに対する神の御心とは何でしょうか。ヨハネの福音書16章23節にこうあります。「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。」 つまり、イエスの御名によって父なる神に祈ることが神の願いなのです!
神が扱うのは、あなたが求める内容ではなく、むしろ、求める方法を扱ってくださることに気づきましたか? 主は、祈りに対して、主の御心に沿うものでなければならないなど、新しい条件を押し付けたり、導入したりしませんでした。主は、「あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。」と言われました。何の条件も付けていないのです。ハレルヤ!
あなたは「でも、もし誰かが神の御心でないことを求めたらどうなるのですか?」と聞くかもしれません。神の子は神の御心から外れたものを求めることはありません。だからこそ、神の御言葉と聖霊があるのです。神の御言葉は、神の御心が表現されたものです。神の御心は神の言葉の中で私たちに現れます。ですから、あなたが神の御言葉の中で、そして神の御言葉で生きるとき、あなたは神の完全な御心の内で祈るようになるのです。
聖書には、「神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰すのです。」(2コリント1:20)と書かれたことを覚えてください。また、「すべてのものはあなたがたのものです。」(1コリント3:21)とも言っています。これらの真理に信仰を堅くすれば、あなたの信仰は強くなります。あなたの信仰が揺らぐのは、あなたの祈りに答えてくださるのが神の御心かどうかを論じるときです。ですから、神の祈りに対する御心に従って求めてください。
祈り
愛する父よ、私が祈るとき、主がいつも聞いてくださるという保証を感謝します。それゆえ、私はいつも主の完全な御心に一致しています。私の魂が栄えるように、私が栄え、健康であることが、主の望みであることを知っています。今日、私は私の祈りの答えを受け、私の喜びは満ち溢れています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(1 テサロニケ5:16-18)いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
(ヤコブ 4:3)願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
(ローマ8:26-27)御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。