Obtain Forgiveness
“もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。”(Ⅰヨハネ 1:9)
聖書はエペソ人への手紙1:3で、神がキリストの中で天にある全ての霊的祝福を私達にくださったと言います。赦しは、私達がキリスト・イエスの中で受けた霊的な祝福の内の一つです。神はすでにあなたが赦しを受けることができるようにされました。神があなたに願われることは、あなたが必要な時、赦しを取ってそれをただ受けることです。これは、神に罪に対する赦しを求めることとは異なります。あなたは同じ過ちに対して続けて赦しを求める必要がありません。信仰の行動によって神の赦しを受ければ良いのです。
“赦し”と翻訳されたギリシヤ語“アピエミ(Aphiemi)”は“放してやる、または自由を持つ”という意味です。父の関心は、あなたが罪から自由になることです。私は罪の束縛(the bondage of sin)からの自由に対して言っているのではなく、罪を犯すこと(sinning)からの自由を言っているのです。あなたは新しく生まれ変わる時、すでに罪と暗闇の束縛の中から神の御子の国へと移されました。あなたは罪がなく、無罪であり、自由であると宣言されました。
使徒の働き26:17-18は、私達に赦しに対する神の考えについて、もっと深い洞察力を与えます。主は、使徒パウロに異邦人の目を開かせるためのメッセージを与えられました。“…暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』”下線を引いた単語“得る(receive)”に注目してください。これは“手に入れる”という意味を持ったギリシヤ語“ランバノ(lambano)”から出たもので、何かを取ってあなたのものとすることを意味します。
キリストの中にあるあなたの相続がすでにあなたのものであるため、求める必要がないように、赦しもまた福音の中であなたに与えられたものです。あなたが相続を受けることと同じ方法で、赦しを受けることができます。なぜなら私達が読んだ箇所で“…彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。”と言っているからです。
もし、あなたが何か誤ったことがあるならば、何をすべきかそして神があなたを赦してくださるのかどうかを気にする代わりに赦しを受けてください。(“ランバノ”)“父よ!私は、私が間違っていることを認め、イエスの御名で赦しを受けます。”と言ってください。
祈り
父よ、私に救いと罪からの完全なる解放をくださったイエス様の血潮によって感謝します。私は罪が私を支配できないことと、キリスト・イエスが私のため死なれて、また私を義と認めるために、再びよみがえられました。そのため、今そしていつまでも私を全ての罪と罪の裁きから赦されたことを知っているから喜びます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖句
へブル 4:16, Ⅰヨハネ 2:1