2025年4月8日(火)
見張り人の任務
The Watchman’s Mandate

「エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。」(イザヤ62:6-7)

冒頭の聖句にあるように、主がイスラエルのためになさった深いことに注目して欲しいと思います。 主はエルサレムに見張り人を任命されました。彼らは執り成し人であり、神の御心の成就のためにたゆまず祈り続けていました。彼らの役割は、エルサレムが地上の賛美となるまで祈り続けることでした。

これは、神の民として今日私たちが負っている霊的責任の顕著な姿です。私たちは神の王であり、祭司であるのです。私たちは見張り人であり、守り、祈るという神の使命を負わされているのです。主イエスご自身も、逮捕される前に弟子たちと一緒におられたときに、このことを強調されました。主イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて行き、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」と言われました。(マタイ26:38)イエスは、彼らがともに見張り、祈ることを必要とされましたが、彼らは眠ってしまったのです。

イエスが戻って来て、彼らが眠っているのを見つけると、イエスは言われました。「あなたがたは、そんなに一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。」(マタイ26:40-41)イエスは、このような重要な時に、弟子たちが祈りによって目をさましていることを期待されたのに、彼らはそれをしなかったのです。このことは、私たちに重要な教訓を与えています。私たちは、見張り人として霊的に目覚めて、祈り続けなければならないのです。

イザヤ書62章7節は、「主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。」と指示しています。またエゼキエル3章17節は、見張り人としての私たちの責任を強調しています。「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」

これは私たちの職務です。私たちは、この地上における神の目的を成就するために、その隙間に立って執り成すように召されているのです。ハレルヤ。ですから、祈りの時間を決して軽んじてはならないのです。聖書には、絶え間なく祈りなさいと書かれています。(1テサロニケ5:17)義人の熱心な祈りは、大きな力があり、強力な力を発揮するのです。(ヤコブ5:16)

祈り
愛する父よ、見張り人としての特権を感謝します。私は霊的な目が開かれていることを宣言し、祈りにおいて用心深く、主の御心がこの地上でなされるようにとりなしています。私は、聖霊の力によって、この責任を忠実に果たすことができるように強められています。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(1テサロニケ5:17)絶えず祈りなさい。

(1テモテ2:1-4)そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

(ヤコブ5:16-18)ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。