The Peace Of Jesus Christ

“わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。”(ヨハネ14:27)

上のイエス様のことばは実に大きな慰めを与えます! イエス様はあなたの心に憂いをもたらした環境とは無いと明白に明らかにしておられます。なぜなら主は、あなたの人生を主の平安で満たされたからです。平安と翻訳されたギリシャ語の原語は“エイレネ(eirene)”であり、これはヘブル語“シャローム(shalom)”と類似した単語です。イエス様は単に騒がしさから静かになる平安を言われたのではありません。イエス様は動揺がなく、安息と栄えで充満な平安を言われたのです。イエス様は“あなたがたにわたしの平安を与えるようになります・・・”と言われなかったことに注目してください。そうです! 主は言われました。“・・・わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。・・・”あなたは今主の平安を持っているのです。

あなたがみことばでキリストについて学ぶと、あなたは地上で主の生涯が治めと安息の実証であったことを見るようになります! 主はどんなことにでも決して動揺したり乱れたりされませんでした! カナの婚礼で人々にぶどう酒がもっと必要だったとき、主は水をぶどう酒に変えられました。(ヨハネ2:1-11) 弟子たちと航海の途中、激しい突風が船に吹き近づいたときにも、主は“黙れ、静まれ(Peace, be still)”(マルコ4:35-40) と言われることにより、すぐに暴風を静められました。同じく主はベツサイダに渡らなくてはならないとき、船が目に見えませんでしたが当惑されませんでした。主はただ水の上に足を踏み出され、渇いた地を歩くように歩かれました。(マルコ6:45-52) いつどこでも、すべての状況の中で、主はいつも平和と統治の座におられました。

主は同じくこのような生き方を期待されます。あなたのうちにさらに大きな方がおられることにより、悪しき者とこの世とそのシステムを勝利したという大胆さと確信を持つことです。あなたは征服者より勝る者です。主はヨハネの福音書16:33で言われました。“わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」”主の中で私たちは平安、しばらくの間の平安ではなく永遠の平安と栄えを持っています。

主は、主の平安をあなたに与えただけではなく、同じくあなたを神様との平和の中に連れて行かれました。“ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和(peace)を持っています。”(ローマ5:1) 主は私たちを神様と一つとなるところへと移してくださいました。したがって私たちと神様の間にはこれ以上いかなる敵対感もありません。“キリストこそ私たちの平和であり、・・・隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。・・・”(エペソ2:14-15)

祈り
愛する天の父よ、キリストイエスの中で私の人生に平安と無限の栄えをもたらしてくださり感謝します。人間の理解を超越する神様の平安で今日私のこころを満たしてくださり、私はすべてのことで大変栄えます。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句
ヨハネ16:33、ピリピ4:6-7