AUTOMATIC CLEANSING

「この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」 (コロサイ1:14)

あなたはキリストにおいて、過去、現在、未来のすべての罪が赦されていることを嬉しく思っていますか?もし誰かが私たちの将来の罪が、イエスの血によってきよめられていなかったと言うならば、その罪は、いつ赦されるのでしょうか?

又、クリスチャンが職場で罪を犯し、自らにこう言ったとしましょう、「このオフィスでは、すぐに祈るのはふさわしくないので、家に帰って祈り、神と和解する為に仕事を急ぐつもりだ。」 どころが、彼がまだ働いている間に、教会の携挙のためのラッパが突然鳴ったことを想像してみてください。彼は天国に行かれますか、それとも彼は取り残されますか?

さて、多分あなたは「あのクリスチャンは終わった! 彼は天に行けない」と考えているかもしれません。それは、あなたは本当に主を知らないということです。主はあなたの救いに対してはあまりにも情熱的なので、あなたが過ちを犯しても、あなたを置き去りにはできません。主はクリスチャンのためにオートフィルターと呼ばれるものを提供しました!これが御言葉の教えていることです。

置き去りにされる人々は、神の光の中を歩いていない人、つまり神を知らずに、神を愛していなかった人たちです。あなたが何かを悪い事をしたと認め、それに対して主に告げようと考えたことだけで、神の光があなたの心にあることを示しています。

1ヨハネ1:7に、書かれている御言葉を読みましょう、「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめてくださいます(cleanseth)。」「・・・罪から私たちをきよめてくださいます(cleanseth)。」ということは、あなたが許しを求めて神に祈った後に、はじめてあなたが清められるとは言っていません。またイエスの血があなたを罪から清めようとしている(is going to cleanse)という、未来的な言葉ではありません。これは継続的なオートプロセス(自動処理)です!イエスの血は必要が生じるたびにあなたを聖めます。

ご存知ですか?あなたの罪をオートに取り除くことは、神の前では法的な問題です。それは、もはや神からの選択の問題ではなく、クリスチャンにとって合法的に義とされることなのです。ハレルヤ!

だからこそ、人間の考えではなく、神の言葉の光によって理解し、毎日歩むことがとても重要です。義の光の中を歩み、あなたの人生を通して、主を喜ばせてください。そうすれば、あなたは罪によって悩まされません。キリストにおけるあなたの性質は、罪の影響を受けないからです。

告白
私は義のうちに生き、歩いています。サタンは私と何の関係がありません。私の主、キリスト・イエスにおいて、私はモーセの律法によって義と認められなかったすべてのことから義とされたからです。私は私の中にある御父の性質を意識して歩みます。ハレルヤ!

参照聖書
(ローマ4:7-8) 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。8 主が罪を認めない人は幸いである。」

(ミカ7:18-19AMPC) あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。