His Blood Speaks Better Things

「さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。」(ヘブル12:24)

第1コリント11:25はこう述べています。「夕食の後、杯をも同じようにして言われました。『この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えるために、このようにしなさい。』」イエスの血は、イエスのいのちを表しています。イエスは、あなたを救うために、ご自分のいのちをあなたに与えてくださいました。

聖書は、私たちは銀金や宝石ではなく、生ける神の子イエス・キリストの尊い血で贖われた(第一ペテロ11:18-19)と述べています。ですから、イエス・キリストの血があなたの真の価値です。主の血は語るのです!主の血は、あなたのために祝福を語るのです!

イエスの血は、あなたの義、義認、勝利、繁栄、そして神性の守りを語っています。あなたは敵の命令を受けたり、振り回さたり、罪の支配下にありません。あなたはイエスの血によって清められ、守られているのです。聖書には、「また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブル9:12)とあります。

イエス・キリストの血によって、神に感謝します!その血はあなたの救いを語ります。ハレルヤ!聖書には「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(第二コリント5:21)とあります。イエスはあなたを罪から救われただけでなく、イエスのいのちと性質をあなたに与えられたのです。今日、罪と罪の影響及び結果は、あなたを支配することができません。あなたは自由に主に仕え、主のために生きることができるのです。

イエスが来られる前、旧約聖書では、罪を贖うためのいけにえや供え物がありました。このために、何匹もの雄牛や山羊などの動物が殺されていました。しかし聖書は、ヘブル人10:4で、「雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。 」と述べています。

イエス・キリストは、一度の犠牲をもって、神にあって召されたすべての人を永遠に完全な者としました。イエス・キリストは、罪を完全に消し去るために、ご自身をささげてくださいました(ヘブル9:14)。イエスは、ご自身の血潮によって私たちの罪を清めてくださいました。「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」(ヘブル1:3)。

告白
愛する父なる神様、私に赦し、義認、贖い、神の御前に立つ権利、交わり、きよめ、そして新約聖書の祝福を与えてくださったイエスの血潮を感謝します。私は、キリストの完成された御業と、私のために、イエスの死と埋葬と復活がもたらした栄光の内を歩んでいます。イエスの血は、私の救い、義認、永遠の勝利、平安、喜びを語っています。私は、あなたの目には、永遠に義であり、聖で、罪がなく、咎められることのない者です。主の御名が永遠に祝福されますように。 

参照聖書
(ヘブル 9:13-15) もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

( ヘブル 10:1-7) 律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです。2 もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、ささげ物をすることは、やんだはずです。

3 ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。4 雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。5 ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。

6 あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。7 そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。』」