7月11日(月)
聖霊-メッセージの力
The Holy Spirit—The Power Of Our Message
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから…」(ルカ4:18)
1981年頃、私は祈りながら、人生を変えるような聖霊との出会いを経験しました。私は聖霊との交わりと知識を経験し始め、私の人生における聖霊の力がより現実的になり、人生の状況において本質的に使えるようになったのです。
私は、ヨーロッパからアフリカにやってきた宣教師について、読んだことがあります。その中には、何年もかけてキリストに改宗させようとしたが、あまり効果がなかった人たちもいました。何人かはその過程で死に、うまくいかなかったのです。問題は、彼らが宗教を持って来たことでした。彼らは、キリストの慈しみを示す素晴らしいメッセージを持って来ました。それも良いことですが、彼らには単なる素晴らしいメッセージ以上のものを必要としていたのです。
どんなにイエスを愛していても、どんなに世の中の罪人に福音を伝える必要性に感動していても、聖霊に満たされていなければ、それはうまくいかないのです。ですから、イエスは弟子たちに「…あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)と言われたのです。
「私はイエスを愛しています、そして一生イエスに仕えます!」と言うことは誰にでもできます。ペテロもまた、同じことを言いました。彼は主に、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」(マタイ26:33)と言いました。また「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません」(マタイ26:35)と強調したのです。もちろん、数時間後には何人かの兵士と少女、そして他の人々の前により、彼はイエスを否定したのです。
しかし、使徒ペテロが聖霊を受けた後、彼の不安は消えました。かつて「無学な漁師」であったペテロは、超自然的なことを言って行い始め、彼の説教によって一日に三千人の人(魂)が改心したほどだったのです。
もしあなたがすでに聖霊を受けたのなら、それは始まりに過ぎないのです。あなたは聖霊を知る必要があり、聖霊とともに歩む必要があります。聖霊は、あなたの生活の中で常に臨在するようにならなければならないのです。私たちのメッセージの力は、叫んで伝えることにあるのではなく、多くの言葉をうまく話すことにあるのでもないことを忘れないでください。福音のメッセージの力は、聖霊の中にあるのです。「そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした」(第一コリント2:4)。
祈り
愛する父よ、私のうちに住んでおられ、主の完全な御心へと私を導いてくださる聖霊に感謝します。主の聖なる力で、私の中に力が湧いてきます。主の聖なる力は福音を世界に伝える勇気で私を満たしてくださり、それを可能にします。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(第一テサロニケ1:5)なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています。
(ローマ15:15-19)ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行ないにより、また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。