Put The Spirit First

“しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。”(ヨハネ 4:23)

キリスト者としてあなたが、人生で一番重要に考えるべき一つはまさに、聖霊様をいつも最優先に置くことです。あなたは人生において、その方に一番高い席を差し上げなければなりません。どのようなものも、聖霊様からあなたの注意や焦点を奪うように許してはいけません。 他の何よりも聖霊様を前に置きましょう。
 Ⅰコリント14:14-15で、使徒パウロは祈るときさえも霊を最優先の席に置いたことを見せてくれます。“…ではどうすればよいのでしょう。私は霊において(with the spirit)祈り、また知性において(with the understanding)も祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。” 霊で祈るのが先であることをごらんください。
しかし、とても多くのキリスト者たちは反対のことをしています。また霊で祈る人でさえも、多くの場合まず知性の祈りをしてから霊で祈ります。        
心で理解することを霊よりも優先する信者は、自然的な状況によって人生が支配されます。このような理由で、彼らは人生においてある状況に直面したり、ある事において、まず心で理解することから反応します。これはもちろん、恐れと不安と心配の反応です。なぜなら、彼らはただ人間的な理解の観点からまず考え、理由付けるように自身を訓練したからです。彼らの反応は肉的な領域からくるものになります。
 ユダのアサ王の話は、キリスト者がこのように生きていくことの危険性を見せています。アサはリッパな王であり、ユダの王として王座に座り神様からの恩寵(おんちょう)を経験しました。彼が主を最優先に置いたために、主は彼が敵に打ち勝てるように何度も助けられました。しかし聖書はアサ王が在位して39年になったとき“彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。”と言っています(Ⅱ歴代誌 16:12)。
 アサ王は主を寄らず、医者に頼って助けを求めました。医者たちは彼を助けることができず、彼は病によって死んでしまいます。人生の中でどんな時にも聖霊様を優先してください。いつも主に信頼し、主だけに助けを求めること、これをあなたの原則として意識しましょう!

祈り
愛する父よ、私の人生にあるあなたの愛と恵みと御言葉の力に感謝をお捧げします!また 父の御心のままになされるように、私の人生で明け渡すときくださる聖霊様の交わりと祝福のゆえに感謝します。イエス様の御名でお祈りします。アーメン

参考聖句
ローマ 8:14, ローマ 8:6