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「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(へブル13:15)

新約聖書の中で賛美について語るとき、それが何かを理解していない人が多いようです。賛美とは、神の慈しみ、祝福、親切、義に対する豊かな感謝の表現です。それは、神の人格に対する感謝、または告白することです。あなたが、「主よ、あなたは寛大であり親切です。あなたは私を祝福してくださいました。あなたは義なるお方です。」と言うとき、あなたは神の人格を明確にし、感謝するのです。それが賛美です。

そのような観点で主を礼拝するとき、あなたの人生の中で主がどんな方であるか分かります。主を、他のすべてものから聖別するのです。主の慈しみ、備え、祝福、そして主があなたに与えられたすべてのものと、あなたのためになさってくださったすべての素晴らしい御業に感謝するとき、あなたはそれらの素晴らしい御業を主の栄光に帰すことです。その結果、主はさらに多くのことをあなたの人生に行なうでしょう。

「誰でも自分の好ましい方法で礼拝することができます。私は心の中で神を礼拝することもできます。」と言う人がいるかもしれません。それは間違いです。もちろん、神はあなたの心の中に何があるか知っておられます。しかし、イエスは「祈るときは、こう言いなさい」(ルカ11:2)と言われました。イエスは「…考えなさい」とは言っていません。賛美は必ず言葉で表現しなければなりません。

旧約聖書では、預言者や祭司たちが祈るとき、彼らの祈りの内容が私たちのために書かれてあります。それは、彼らが内容を声に出したことを示しています。同じように、イエスも祈られた時、他の人々が聞こえるように、声に出されました。主は単に心の中で考えておられたのではありません。

賛美も同じです。私たちは御霊によって、また御言葉によって(霊と真理で)神を礼拝します。私たちは神に向かって手を挙げ、主の御名を告白します。「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか」(へブル13:15)。私たちは主の偉大さ、親切、愛、憐れみ、恵みをほめたたえて祝福します。ハレルヤ 。

祈り
祝福されたイエス様、主はすべてのものよりも偉大なる方です。主は天と地を支配し、銀河から地上にまであなたの支配を受けない、いかなる名前も権力も存在しません! 主だけが唯一神であり、今もそして永遠に、すべての栄光と威厳と賛美に値するお方なのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ヘブル13:15) ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

(詩編138:2) 私はあなたの聖なる宮に向かってひれ伏し、あなたの恵みとまことをあなたの御名に感謝します。あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。

(黙示録4:10-11) 二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。11 「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」