Take No Thoughts
“何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。” (ピリピ 4:6)
思考は、私達にいつも思い浮かびます。今でさえ、あなたの思考体系は働いており、無数の信号は、あなたの思考(mind)を通して来ています。あなたの考えは、過去に起こったことや未来に起こってほしいと願うことを処理していることもあります。あなたがさらに今、愛する人や職場、自動車などあることに関して考えていることもあります。
このように考えがあなたに押し寄せる時、私達はこのような考えの内の一つや幾つかを“受け入れて”それらをじっくりと考えたりします。このような行動は心配をつくります。神は私達が心配するのを願われず、かえって“何も煩わないことを”願われます。“煩い(careful)”という単語は“メリムナオ(Merimnao)”というギリシャ語から出たもので、これは“考えを受け入れる”、“あることに関して心配する”、“あなたの心を、心配や乱れさせるのに中心を置く”という意味です。
あなたが考えを“受け入れる時”、それはあることに関して、あなた自身が心配するように許すことであり、そのような考えは、あなたの注意を乱して散漫させるでしょう。そのため、否定的な考えが来てあなたの注意を引こうとしたりあなたを引っ張ったりする時、神は“それらを受け入れてはならない!”と言われます。
主イエスは、マタイの福音書6:25-26で同じことを例えで言われました。“だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。…空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養ってくださるのです。”何を食べようか、着ようか心配しないでください。世の人々はこのようなことを求めますが、あなたの天の父はあなたにそれらが必要であることを知っておられます。鳥のように振る舞いなさい。神があなたを助けられることを信頼してください。
“考えを受け入れる”代わりに祈りと、求めることを通して感謝で主に願うことを言ってください。主はあなたを顧みで、乏しさがないほど十分に大きいお方です。神はあなたの必要なものを正確にご存じです。これがまさにキリストの中で全てをあなたのものとさせられた理由です。このような意識を持ってください。そうするとき、人の全ての考えにまさる神の平安がキリスト・イエスにあってあなたの心と思いを守られるでしょう。(ピリピ4:7)
祈り
父なる神様、父の御言葉から来る慰めと平安と力に感謝します。私は、私の全ての必要はキリストの中で満たされたのを知っていますから、どのようなことに関しても心配したり苦しんだりすることを拒否します。平安と繁栄と義と栄光と統治の位置へ私を移してくださり感謝します。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖句
詩篇 23:1, ピリピ 4:19