Submit to His Will

「そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」」(ルカ22:41-42)

今日の本文から、主イエスが父に熱心な祈りの中で苦しんでいる様子を見ることができます。ルカによる福音書22章45節では、実際にこのように言われています。「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」 これは、イエスにとっては、決心の瞬間でした。イエスは祈りの中で、「父よ、もし御心でしたら、この杯を私から退けてください…」と言われました。

イエスは、これから、この世の罪をイエスに担わせるために、ご自身に差し迫った霊的死について言われました。その死によって、御父は、イエスに背を向けられるという事実を語られました。これは、イエスの表現しつくせない苦悩の原因となりました。イエスは、十字架での出来事と、御父から離れるということを知っておられました。最初からイエスは、預言的にそれらを宣言していました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。』(へブル10:7)

イエスは、父の御心が何であるかご存知で、御言葉に預言されていたとおりに、それを全うするために来られました。それでイエスは、ご自身が嫌がっていた御父との苦痛を伴う隔離にも関わらず、父の御心に従いました。イエスは、父の御心を現し、成し遂げられました。 これは、あなたが人生でどうするべきかを示しています。それは、天の父の御心を完成することです。

もしあなたが、人生の選択の分かれ道にあるなら、神の御心を選んでください。「この問題に対する父の御心を知らない場合にはどうしましょう?」と質問するかもしれません。それがあなたに聖霊がおられる理由なのです。聖霊を求めるなら、主はあなたの霊に父の御心を示してくださるでしょう。さらに、あなたが神の御言葉を勉強して黙想するなら、神の御心があなたの霊に現れるでしょう。神の御言葉は、神ご自身の御心が表現されたものです。神の知恵は、神の御言葉の中にあります。ですから、あなたが御言葉に従って行うとき、神の御心にかなう人生を送るでしょう。

神の「新しい」御心を探そうと努力せず、神の御言葉の中にとどまってください!肉的の弱さや苦しみの時にも、御言葉を握ってください。そうすれば、あなたは力を受け取ることでしょう。聖書は、苦悩の時にイエスについて語っています。「御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。」(ルカ22:43) その天使とは誰の事でしょうか?聖霊であられます!あなたが危機の時に、御言葉を握って熱心に祈るなら、天の父の御心を従う力を受け取ることでしょう。

祈り
愛する天の父よ、いつも父の御心を行う力を聖霊によって与えてくださり感謝いたします。聖霊様は、私のうちに御父の喜ばれる御心を行なうように働かれる方です。私の人生は、毎日父の御心の現れであり、私への父の目的と運命を栄光と喜びをもって完成します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
ピリピ2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

ローマ8:26-27 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。 27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

ローマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。