Sin Is No Longer A Factor

「あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです」(ローマ6:14)

一部のクリスチャンは、「この身体にいる限り、罪を犯す傾向がある」と言っていますが、それは神の教えではありません。そのように信じ話すことは、つまりイエスが私たちにもたらした救いを墨塗りし、救いの力をさげすみことです。1ヨハネ2:1は語っています、「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。」 

「あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」とは、1ヨハネ2:1が、私たちに教えるのは、無理に罪を犯さないようにするという内容ではありません。1ヨハネ2:1では、「罪を犯すなら(if any man sin…)」でなく、「罪を犯したなら(when any man sin)」と言っています。罪はもはや問題ではありません。聖書は言っています、「神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています…」(1ヨハネ5:18)。 もしあなたが罪を犯さないことが不可能なら、使徒ヨハネはそうは言わなかったでしょう。

あなたはキリストの贖いと身代わりの御業によって、神があなたを見ていることを理解する必要があります。コロサイ1:21-22は、これを明らかにします。「 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」 イエスはあなたを聖く、傷なく、そして非難されることのないものとされました。あなたの行動によるのではなく、キリスト・イエスにあってそのようなものとされました。

1ペテロ2:9で、主は、「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」と言われたのに不思議はありません。神は暗闇の中からあなたを呼び、神のすばらしい御業を伝え、神の徳と完璧さを現すように招きました。神はあなたが完璧に歩くだけではなく、神の栄光と徳を明らかに現わすように言われました。神はあなたを神聖な卓越性の中を歩み、義の実と業を示すように招かれました。それがクリスチャンの人生です。神に栄光がありますように!

祈り
愛する御父よ、父が私の中で働かれ、喜びをもって、良い志と行いができることに感謝します。私は父から生まれたので、罪はもはや私を支配するものではありません。私は、御父の完全さと卓越性を私の中に示して、義の実を結びます。イエスの御名でお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ローマ6:6-14) 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます…

(1コリント15:55-57)  「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。