12月10日(土)
神聖の『ロゴス』
The Divine “Logos”

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)

今日の御言葉にある「ことば」は、ギリシャ語の「ロゴス」で、これは、神の意見、考え、アイデア、教義、論説、説明、知恵、知識、計画、そして目的など、私たちに示された神の言葉を表しています。このように、私たちが御言葉を知り、理解することは非常に重要なのです。

神があなたに御言葉を語られるとき、たとえ「それゆえ、あなたは行け」としか言われないとしても、その言葉はすべてにおいてあなたの人生を導き、守ってくれるでしょう。それは、神と神が表されるすべてが、神の言葉(神聖なロゴス)の中にあるからです。ハレルヤ!

神のロゴスは万物を創造したのです。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」。ここで私たちは、使徒ヨハネが神のロゴスに人格を与えていることがわかります。 使徒ヨハネは「それ(it)」ではなく「彼(Him)」という人称代名詞を使っていました。そして、14節ではさらに明確になります。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」。

神のすべてのアイデア、すべての知識、すべての知恵がどのような姿になるか想像してみてください。神がどんな方なのか想像してみてください。神の人格、性質、神が持っておられるすべての洞察力、つまり神聖のロゴスの中にあるすべてが肉となって、私たちの中に宿られています。この方がイエスなのです! 宣言された御言葉、つまり「ことば」であったものが、人となり、人間性を帯びたのです。

イエスは神聖のロゴスです。聖書の時代に、イエスが通り過ぎるのを見たなら、彼らは神の思いの全体を見たのです。イエスは父なる神の御心の総体でした。イエスは肉を持った神の言葉だったのです。ヨハネはこのため「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」と語ったのです。

祈り
天の父なる神よ、父の意見、考え、アイデア、教義、論説、説明、啓示、そして御言葉に含まれてある理解力に感謝します。私は聖書の中の神聖の真理と知恵を学び、黙想します。主の御言葉は、私をすべての状況を支配し、すべての面で優れるように導きます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(へブル4:12-13)神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。

(ヨハネ1:1-4)初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。