Dead To Sin
「絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。」(ローマ6:2)
使徒パウロは、神から受けた義と救い、恵みがどのように来たのかを教えるため、今日の本文で示しました。パウロは、自分自身や他の使徒たちも含めて、私たち全員に語っていました。 私たちは罪に対して死んでいました。それは罪があなたに対して何の力も発揮できないことを意味します。罪の性質が義の性質へと代わったからです。
1コリント15章56節では、罪の力は律法であって、その後に、罪を明らかにされたその律法は、イエスによって廃止されたことを私たちに知らせています。エペソ2章15節で、イエスはさまざまの規定から成り立っている戒めの律法を廃棄された方であると記録されています。主イエスは私たちに罪と死と葬り去られ、勝利をくださいました!私たちは、義と認められただけでなく、キリスト・イエスにあって、神の義とされました。この真理の光の中で自分自身を見てください。
神の言葉は光であり、あなたの本当の存在を示す鏡でもあります。聖書に、「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。」(1コリント3:18)とあります。そして御言葉は、あなたは罪に対して死んでいると言います。御言葉にある実在を熟考するとき、あなたの姿は真実として鏡に映された、同じ姿に変えられます。
鏡に映された姿は、罪に対しては死んで、神と義に対しては生きた者であり、それはあなたです!あなたは、こう応答する必要があります、「そうです!私は罪に対して死んで、神と義に対して生きています。私はキリスト・イエスにあって神の義であるからです。」
ローマ6:11は、「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと思いなさい。」と言っています。神はあなたが罪に対して死んだことを意識してほしいのです。これを絶対的な真実として受け取って、それに応じて生きてください。あなたが罪や間違った習慣の奴隷という考えを拒否してください。義を意識する者になってください。
告白
私は御言葉の力によって完全にきよめられ、生きています。私は神聖なものになりました。私は神の御霊によって義と認められました。主イエスの御名でお祈りします。アーメン!
参照聖書
(ヤコブ1:22-25) また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。23 みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。
(1コリント6:11) あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。
(2コリント5:21) 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。