Worship Him Everyday

「雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。」(ヘブル10:4-5)

出エジプト記29章から第30章を学ぶと、主はイスラエルの人々に、罪のためにいけにえとして、全焼のいけにえと香をたくように指示されたことが分かります。これらは毎日行われました。しかし、神はいけにえやささげ物で満足されませんでした。神は完璧ないけにえとして、キリスト・イエスを望まれました。

新約聖書の中で、イエスは私たちの罪のいけにえとなられました。イエスは、私たちのために、一度だけささげられた永遠のいけにえで全うされたのです。これ以上神に家畜をささげる必要はありません。ヘブル10:14では、「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。」と語っています。イエスは、単なる完全ないけにえでなく、イエスの犠牲は、私たちを完全にしてくださいました。

詩篇の著者ダビデは、このことについて、詩篇141:2で衝撃的な洞察を与えてくれます。「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。」 預言者ダビデは、やがて来るべき、イエス・キリストの死と復活以後の、新しい契約時代に対する啓示がありました。古い契約の聖所は除かれ、取り替えられようとしていました。それでは、神に定期的に捧げられた香の代わりに、祭司が朝と夕に捧げるように命じたいけにえは、どのようものに置き換えますか?

それは、私たちの手を上げてささげる礼拝の祈りです!神は、これを永遠に決して止めてはならないと言われました。それが私たちが手を上げて、いつも礼拝する理由です。あなたが主を礼拝するたびに、特に霊をもって礼拝するとき、すなわち異言で祈るとき、あなたの祈りは香の煙のように神のもとに行きます。聖書は、「香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。」(黙示録8:4)

神に、あなたの手を上げ、神の御名をほめたたえて告白しましょう!それはまさに、夕方のいけにえのようで、つまり甘い香りの捧げ物として神を喜ばせるいけにえです。そして、私たちは毎日このように礼拝するべきです。

祈り
天の愛なる御父よ、御父の威厳をほめたたえて礼拝します。御父だけが主であられるからです。御父はすべての賛美、栄光、愛、主権、威厳、素晴らしさ、栄光を受けるにふさわしいお方なのです。祝福と栄光、知恵、感謝、尊敬、権勢、力が御父に永遠にありますように。アーメン。

参照聖書
詩篇134:2 聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。

黙示録7:11-12 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」

へブル13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。