2024年6月21日(金)
私達は神を喜ばせるために生きる
We Live To Please Him

「絶えずあなたがたのために祈り求めています。…また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。」(コロサイ1:9-10NIV)

もしあなたが、神を喜ばせることに熱中していないと感じたなら、主イエスに対するあなたの愛は疑わしくなります。もしあなたが主を心から愛しているなら、あなたの心の願いは、いつも主を喜ばせることです。あなたは主を人生の最も重要な位置に置くのでしょう。

なぜ主を喜ばせることが重要なのでしょうか? 私たちが主のものであって、主のために生きているからです。それは、神の子である私たちのアイデンティティに関することです。第二コリント5章14節にはこう言っています。「…ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。」

神は、あなたの天の父であるだけでなく、主でもあるのです。このことが、あなたの救いにつながったのです。つまり、あなたの人生に対する主の支配を認めることとその告白です。それゆえ、主を喜ばせるために生きることは、あなたの献身に対する自然な表現なのです。今、主はあなたの人生とあなたに関するすべてのことの主です。

主イエスがこの地上を歩かれたとき、主はすべてのことにおいて父を喜ばせる方法を私たちに教えられました。ヨハネの福音書8章29節で、イエスは言われました。「…わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行うからです。」ヨハネの福音書5章30節では、イエスはこう言われました。「…わたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。」

イエスは御父を喜ばせたいと常に願って生き、私たちにも同じ考え方をし、培うよう勧められたのです。ヨハネの福音書6章38節で、イエスはこう言われました。「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。」そして、ヨハネの福音書4章34節では、父なる神への保証として、最も感動的な言葉を言われました。「…わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」

主は、父の御心に完全に服従し、すべてのことにおいて父を喜ばせる生き方を私たちに明らかにされました。私たちは主に倣うのです。神を喜ばせるために生きること以上の喜びや充実感はありません。純粋にイエス・キリストを愛し、イエス・キリストが生きたように生きること以上に神を喜ばせることはないのです。

祈り
愛する父よ、私の行動が父の完全な計画と一致するように、御言葉の中で父の御心を教え、導き、明らかにしてくださる聖霊に感謝します。父を喜ばせる喜びが私の人生の原動力であり、私は父の完全な御心の中をいつも歩むことに専念します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(コロサイ1:9-10)こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

(1テサロニケ4:1)終わりに、兄弟たちよ。主イエスにあって、お願いし、また勧告します。あなたがたはどのように歩んで神を喜ばすべきかを私たちから学んだように、また、事実いまあなたがたが歩んでいるように、ますますそのように歩んでください。

(2コリント5:14-15)というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。