7月15日(土)
私達はキリストのうちにいました
We Were In Him
「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、—あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです—」(エペソ2:4-5)
今読んだ御言葉は、なんと深いことでしょう!使徒パウロは、イエスの十字架、死、埋葬、復活における、私たちと主との一体を強調する霊的真理を説明しています。「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし…」(エペソ2:5)
イエスが十字架にかかられたとき、そこにかかったのは私たちであり、イエスは私たちの身代わりになったのです。イエスが死んだとき、私たちはイエスのうちにいたのです。イエスが葬られたとき、私たちは公義の中ですべて葬られたのです。イエスが地獄に行き、サタンと暗闇の悪霊どもを打ち負かしたとき、パウロが、コロサイ2章15節で詳しく説明したように、神の考えにおいては、イエスのうちに私たちがいたのです!私たちは、キリストにあってサタンを打ち負かしたのです。
そして、聖書は、神がイエスを死者の中からよみがえらせたことを示し、その時、私たちはイエスと一緒によみがえったことを示しています。エペソ2章6-7節には、「キリスト・イエスにあって、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。…」とあります。これが、神が私たちを見る視点です。イエスがなさったことは、すべて私たちと全世界のためであり、私たちはイエスうちにいたのです。
考えてみてください。イエスは死からよみがえり、新しい命を得ました。それは復活の命です。そのような命が、今日私たちは持っているのです。私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです(1ヨハネ4:17)。キリストを受け入れたとき、あなたは、イエスが地獄に落ちた時に持っていた命を受け取ったのではなく、あなたは罪のない義なるイエスの命を受け取ったのです。
イエスは私たちの罪を背負って地獄に行き、悪魔を打ち勝ち、罪の対価をすべて払い、神の義としてよみがえられたのです。ハレルヤ! 今、私たちも、新しく生まれたことで、キリストのうちで神の義となったのです。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5:21)
祈り
愛する父よ、主イエスの死と埋葬と復活が、私を新しい命に導いてくださったことを感謝します。私は、キリストと共に、あらゆる主権、支配、力、そして名づけられたあらゆる名前に優る、偉大な栄光と権威の座に着いています。ハレルヤ! イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(ローマ6:4)私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
(ローマ4:25)主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
(エペソ4:24)真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。