The Lifting Up Of Our Hands…

“私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。”(詩篇141:2)

ダビデは旧約時代の祭司長の働きをよく知っていました。神様の預言者として彼は、主イエス・キリストの死と復活にともなう新しい時代を預言しました。上の本文箇所で彼は預言的なことばをしながら、拝するとき手を上げることを夕べのささげ物と例えました。

手を高く上げて拝むとき、あなたはあなたの罪のための神様の子羊イエス・キリストの審判を受け入れ主に自身を明け渡したと宣言することです! キリスト・イエスにあるいのちの御霊の原理が、罪と死の原理からあなたを自由にしたことを宣言することです。あなたが手を高く上げるとき、そのときはまさに主を拝むときであり、愛と感謝でいっぱいに満ちた心から湧き出る喜びのいけにえとしてささげるときです。苦しみと悲しみによって泣きながらなげきを吐き出すときではないのです。

あなたが会衆の中にいるとき牧師が“手を上げて主を拝しましょう”と言われたら、疲れを感じたり早く手を下ろさないでください。今あなたが主に祭司長の働きを行っているということを知り、続けて手を上げてください。モーセはイスラエルの子孫たちがアマレクと戦うとき、手を上げるときの強力な力を発見しました。その戦いでアロンとフルが、モーセが手を上げるたびに、イスラエルが勝つことを見ました。しかしモーセの手が下りてくると、すぐにイスラエルは負けはじめました。これに彼らはモーセを助けるために岩に座らせ彼の手を両側で持ち上げました。モーセが手を上げている間、イスラエルは勝利しました。(出エジプト17:9-14) あなたが手を上げる行動に勝利があるのです。

同じくパウロも拝するとき手を上げることに対する重要性を理解し、聖霊によってこう言いました。“ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。”(Ⅰテモテ2:8) もしもあなたが暮らしの中で離れないような試みと苦しみを継続して受けている人であるなら、おそらくあなたはこのようにしたことがないはずです。手を上げて祈るとき、それは霊的な領域で勝利したというしるしです。あなたはその状況に勝ち、統治権を持つようになるでしょう!

祈り
恵み深い天の父よ、この驚くべきいのちを私にくださって感謝します。父は私が望む栄光と美しさと義と統治と特別ないのちのためのすべてのものを私にくださいました。したがって私は私のこころを尽くして、私の手を高く上げて父の尊いに賛美します。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖句
詩篇63:4、詩篇134:1-2