2025年7月2日(水)
神聖の任務に集中する
Stay Focused On The Divine Mission
「わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。」(ヨハネ12:49)
主イエスは、ご自身の神聖な任務に集中していました。イエスは何のために来られたのかを明確に理解し、他のことに注意を奪われることはありませんでした。イエスはご自身の目的を宣言し、それに忠実であり続けました。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)
その後、ヨハネ4章34節で、イエスは「…わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」と述べ、父から与えられた任務を完了する深い決意を示されました。しかし、ヨハネ20章21節では、驚くべきことを言われました。「…父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」したがって、イエスのように、私たちも神聖な任務に集中し続けなければなりません。
マルコ16章15節で、イエスは「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と言われました。これが神聖の使命です。マタイ24章14節には「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」とあります。私たちの任務は、今年中にすべての国々で福音の宣教を完了することです。あなたはこの働きにどれほど集中していますか?
主へのあなたの責任は、福音への参加に基づいて判断されます。今日、誰かがあなたに「あなたは素晴らしい仕事をしている」と言うかもしれません。しかし、本当に重要なのは、あなたが、主が命じられたことを行っているかどうかです。言葉においても、主イエスは冒頭の聖句に見られるように模範を示されました。主が発したすべての言葉は、神聖の任務と一致していました。
ヨハネ8章29節で、イエスは「わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行うからです。」と言われました。私たちは、すべての面でイエスを見習うように召されています。したがって、あなたの言葉、行動、そして神聖の任務への献身において、主を反映する人生を送りましょう。福音の任務を果たすことに集中し続けましょう。その任務を個人のものとし、毎日、あなたに福音宣教の必要性が課せられているという意識を持って生きましょう。この世でこれほど重要なことは何もありません。
祈り
愛する父よ、私を神聖の目的の道に導いてくださり感謝します。私は主の御心に従って歩み、福音宣教の必要性が私に課せられているという意識を持って生きています。私の生涯は、福音の任務への真摯で揺るぎない献身の反映です。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(使徒20:18-25)彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。19 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。20 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。25 皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。
(1コリント 9:16-17)というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。 もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。