Success Without Struggle

「したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。」(へブル4:9-10)

御言葉の下線が引かれている「神の安息に入った者ならば、」という部分に注目してください。この安息とは、キリストのうちにあっての安息です。これは肉体的な安息以上のものです。それはあなたの魂の安息であり、奮闘、労苦しません。成功、繁栄、勝利、健康と偉大さのために必要なもの全てが、新しくつくられた者であるあなたに有効になりました。したがって、あなたは人生で、もう奮闘する必要はなくなったのです。あなたは神の安息に既に入ってきたからです。

この真理を悟っていないため、多くの人が安息という有利な立場で歩むことができないのです。彼らは、仕事、事業、計画、さらには福音伝道の責任においてまでも、苦労しながら、あくせく働き、奮闘しているのです。しかし、キリストが私たちの安息なのです。私たちの労苦を神は喜ばれません。それゆえに、私たちを助けるように聖霊を送られたのです。ヨハネ14:16(AMP)では次のように書かれています。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主(慰め主、弁護者、助言者、カウンセラー、激励者、そして、非常待機する方、)を、お与えになり、その助け主はいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです」。この方が今日ここにおられ、あなたの助け主なのです。

私たちは安息の日に生きており、王と共に君臨し統治しており、天の所にキリストと共に座っているのです。「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました」(エペソ2:6)。聖書は、「ともに天の所に立たせてくださいました」とは書いていないことに注目してください。いいえ!私たちは主と共に座っているので、この座は、苦難、奮闘、労苦ではなく、安息の座なのです。この御業は、イエス・キリストのうちにあって、完了されたのです。今イエス・キリストは言われます。「全てを楽しみなさい。私の安息のうちに生きなさい、全てのものはあなた方のものだからです。」

伝道も奮闘するものであってはならないのです。この真理を認め、意識しながら、御言葉を説き、教えてください。聖霊の力が御言葉のうちにあり、あなたが言う時、聞き手に悟りを与えるか、注意を促すことでしょう。人生において、栄光から栄光へと、苦労せずに、すぐれた結果を出し発展していくことが、アブラハムの子孫としてあなたが受ける祝福の一部なのです。

告白
私はキリストにあって新しくつくられた者、アブラハムの子孫であり、約束のとおり相続人です。キリストが私の安息日であるため、私は永続的に神の安息のうちに生きます。私は奮闘したり、不安にはならず、優れた結果を出し、勝利し、栄光から栄光へと前進するように私は定められましたから、神の栄光のうちを歩きます。主をほめたたえます!

参考聖書
マタイの福音書 11:28-30  すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

ペテロの手紙 第一 5:7  あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。