Walk In Divine Health
「するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」 (マルコの福音書 7章27節)
時々あなたは、こう言われているクリスチャン達に出会うことがあります。「主よ、私を癒して下さい。私の癒しを求めます。」神は、まだ霊的な幼い子や無知なクリスチャン達が、そうすることをしばらくの間には対応するかも知れません。しかし、神は、「では、成長しなさい。」と言う時が訪れます。それでは、その様な祈りはもはや働かないでしょう。
ある方が、このように私に質問されます。「クリス牧師、友のために病の癒しを祈ると、彼は癒されました。そして、私自身の癒しの祈りで、私も癒されました。しかし、最近、私の癒しを祈っても癒されません。ただ友のために祈ると、癒されます。なにが問題なのでしょうか?」
答えは単純です。神は、あなた自身の癒しの祈りには応答されません。幼いクリスチャンの時には、そのような祈りも聞いて頂けます。使徒の働き17章30節で、「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます」と書かれています。神は、体の健康を最優先にされているのではなく、神による健康な人生を重視されているのです。霊的に成長すると、いやしを祈りません、なぜなら癒しは、子どもたちへのパンです。癒しは王のものではありません。
第一段階の霊的成長では、病気になり、それが治ります。そしてこのような事が繰り返される段階です、あなたはいつも神による癒しを“信じて”います。第二段階やそれ以上になると、「私は神により健康です」と宣言できるようになります。神による健康の信仰があれば、癒しを祈る必要はありません。もし病気の症状があれば、こう宣言できます。「イエスの御名の中で命ずる、痛みは、なくなれ!」するとそのようになります。
あなたは、どのレベルですか? より高いレベルへと成長しましよう、そこには熱や、頭痛、その他の病気の症状はありません。聖書では、「そこに住む者は、だれも『私は病気だ』とは言わず」とイザヤ書 33章24説で書かれています。この様に記されているのは、彼らが病気にならなかったからです。
私たちは神と同じ類いに属した者です。私たちの内に、不滅できない病気に感染することがない神の命を持っています。では、病気はどこから来るのでしょうか? もし、病気の症状を感じたら、それは幻です、イエスの御名で退けなさい! 病に打ち勝ち、神による健康な人生をあゆみましょう。
告白
私は、超自然に生きています! 神による健康により、私を構成している繊維組織、血液の細胞、そして構成しているすべての骨が機能しています。頭のてっぺんから足のつま先まで超自然的な命で生きます!神様の御言葉と聖霊により、私の体を生かして下さっています、イエスの御名の中で。
参考聖書
コリント人への手紙 第一13章11節 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
ペテロの手紙 第一 2章24節 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。