Give Him True Worship

“しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。”(ヨハネの福音書4章23節)

 愛、神への愛には何かがあります。神への愛は、あなたを礼拝者とならせます。愛は、あなたを単なる歌う者ではなく、礼拝者にされます。神は、「歌う者」を捜しているのではありません。主は真の礼拝する者を捜しておられます。礼拝者と歌う者には大きな違いがあります。聖書には私たちにイスラエルの賛美する者について述べていますが、ダビデについては、彼は礼拝者だったと教えてくれています。

 いくつのキリストの者達は、神が彼らを、「祈りの勇士たち」にされたと信じていますが、そうではありません。なぜなら、神が探す者は「祈りの勇士」でなく、真の礼拝者であるからです。礼拝者となったのであれば、祈りの中で「戦争」をする必要はありません。そして、まず何ものに対して「戦争」をしているのでしょうか。サタンでしょうか。サタンは既に敗北しました。この世に対する戦いでしょうか。イエスはこう言われました。「わたしはこの世を打ち勝った」イエスは私たちの為にこのようになさいました。

 それでは、彼らはおそらく肉に対抗して「戦い」をするかもしれませんが、しかし、それも無意味です。何故なら、ガラテヤ人への手紙5章24節にこう言われるためです。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」これを理解した時、あなたは「戦い」をする為の祈りは必要ありません。あなたはむしろあなたの心から霊と真理の中で、主と主が成された全てのものの為に、主に礼拝をしないといけません。

 礼拝は、あなたの人生に御霊の神聖な交わりの雰囲気を作り出します。主は、私たちに礼拝を通して主から「何か」を貰うためや、主が礼拝を通して栄光を受けようと、言われたことはありませんでした。そうです。主が私たちに礼拝を捧げて欲しいと願われるのは、私たちの霊の目が開かれて、神の栄光を見るのができるからです。その時、あなたは自分のことを忘れ、ただ主だけに見上げることができます。神の栄光はあなたの全ての存在そのものを覆い、あなたを神と同じ姿で変えさせ、より高いレベルへと持ち上げられます!世のものはまるで消え去るように見え、あなたが神の愛の中で完全に溶けられ、ただ主だけ見上げるようになります。ですから、今日主にまことの礼拝を捧げ、御言葉と共に継続的に勝利の道で歩みましょう。

祈り
愛する御父よ、父は私の人生を美しくしてくださいました。私に父の栄光で冠をかぶらせ、父の知識と義とあわれみと恵みで、私を満たしてくださいました。おー主よ、私は主を礼拝します。なぜなら、主だけが唯一の神様です。神様は天よりも高められ、主の栄光は私の人生の上にあり、全地に明らかにされました。全ての栄光、威厳、そして力は今も永遠にあなたのものです。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。

参考 聖書
ピリピ3:3 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。

ヘブル13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

詩編29:2 御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。