2023年8月17日(木)
神は私たちに命を与え、命を与える者にしてくださった
He Gave Us Life And Made Us Life-givers
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)
クリスチャンとして、私たちは単なる人間ではないと言うと、ある人々はそれを異端視したり、「小さな神」シンドローム(症候群)と呼んだりします。主との一体性、すなわち主との崇高な同一視の正当性を疑う人々は、イエスがこの地に来られた理由、真の目的に対する理解が欠けているのです。冒頭の聖句をもう一度読んでほしいと思います。
イエスは単に私たちを罪から救うために来られたのではありません。それは最終目的のための一つの方法でした。では、イエスは何をするために来られたのでしょうか? 私たちに命を与え、神との交わりをもたらすために来られたのです。ヨハネによる福音書5章26節には、こう書かれています。「それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。」
考えてみてください。御父が満ちあふれる命を持っているように、イエス・キリストも満ちあふれる命を持っているのです。イエスは御父から命を引き出しているのではありません。パウロが第一コリント15章45節(NIV)で言ったことを思い出してください。「聖書に『最初の人アダムは生きた者となった』と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。」命を与える霊であるイエスは、私たちにも同じ命を与えてくださるのです。
ですから、命を与えられるイエスと同じように、あなたも命を与える霊なのです。イエスは私たちに命を与え、命を与える者とされたのです。素晴らしいことだと思いませんか? あなたが現れるとき、命は断片的にではなく、完全な形で現れるのです。
マタイによる福音書10章8節で、イエスが、私たちにこの務めを任せたのも当然なことです。「病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。…」それは、あなたが病人や苦しんでいる人に触れるとき、あなたの中にある命が彼らに移され、注ぎ込まれ、彼らに癒しと健康、完全さをもたらすからなのです。
聖書には、「私たちはキリストのからだの部分だからです。」(エペソ5:30)とあります。この言葉の意味を考えたことがあるでしょうか? つまり、私たちは主の体の手足そのものなのです。パウロはコリント教会に宛てた別の手紙の中で、こう述べています。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(1コリント6:19-20)
第一コリント12章27節では、こう言っています。「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」あなたは、神の神聖の本質を運ぶ者なのです。永遠の命は、あなたを通して現わされます。この真理の大きさを理解し、その実在の中で歩みましょう。
祈り
愛する父よ、私を、命を与える者として、主の祝福を与える者としてくださったことを感謝します。私は、傷つき、死につつある世界に対して、癒し、祝福し、解放するために、主の伸ばした腕です。私は御霊によって、力に満ちています。今日、私を通して神の栄光が私の世界に放たれます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(1コリント15:45-49)聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
(1ペテロ2:9)しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださったかたのすばらしいみわざを、あなたがたがたが宣べ伝えるたるためなのです。
(1ヨハネ5:11-12)そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。