信じることは、信仰を「行う」ことです
Believing Is “Doing” Your Faith

「『私は信じた。それゆえに語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」 (第二コリント4:13)

多くの人が「信じている」と言いながら、何もしません。しかし、あなたが本当に信じているならば、あなたは行動します。それが、信仰がすることです。信仰とは、あなたの信じていることに基づいてあなたがとる反応または行動です。「信じる」というとき、それは受動的ではなく、能動的な表現です。「信じる」というのは行動の言葉で、実際に信仰を「行う」ことなのです。だからこそ、聖書はこう書いています。「それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブ2:17)

信仰には、それに対応する行動が必要です。あなたは行動によって信仰を証明するのです。「信じるBelieve 」という言葉は、ギリシャ語で 「ピステュオpisteuō 」といい、あなたの「信仰を示す」「信仰を行動に移す」という意味があります。あなたがイエス・キリストについて信じていることが何であれ、それは、あなたの行動によって表します。聖書に書かれている御言葉は、信頼できます。しかし、御言葉があなたの人生で効果を発揮するためには、あなたが御言葉を実行しなければなりません。

今日の御言葉で読んだように、イエスは 、「私を愛するなら、私の言葉を守りなさい 」と言われました。神の御言葉は実行するためのものです。ヤコブ1章22―25節はそれについて端的に表されています。「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます。」

御言葉を行動に移すということは、そこに力があり、それはあなたに利益をもたらすのです。「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」(マタイ7:24-27)

祈り
愛する父よ、私の人生に主がおられ、栄光を与えてくださっていることを感謝します。私の中に住んでいて、主の御言葉を教えてくださる聖霊に感謝します。そのおかげで、私の信仰は効力があり、常に結果を出します。私は御言葉を実行する者です。あなたの御言葉は今日、私の中で、そして私を通して、主の栄光のために勝利を収めます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(ヤコブ2:18-19)さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

(マルコ9:23)するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」