2022年6月23日(木)
神は最も優秀な人物を選ぶ方ではない
He Doesn’t Always Go For The Most Qualified

「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」 (第一コリント1:27)

何年も前、十代の若かった私に主は語りかけてくださいました。これは、私が初めて神からの声を直接聞いた経験でした。主は私に「わたしの民を彼らの相続地に連れて行くように」と言われたのです。その時、私は相続のことなど何も知らない状態で、私は今始まったばかりの人に過ぎませんでした! 誰も私たちにキリストの中にある相続を持っていると教えてくれませんでした。
 
教会では、敬虔な愛を持って神に仕えることや、多くの美しい聖書の物語について学びましたが、誰もキリストにある相続財産について言及しませんでした。しかし、神から私に「わたしの民を彼らの相続地に連れて行くように」と言われたとき、私はただそのことを受け入れました。私は、その指示が何であるかを理解することなく、ただ主を信じたのです。私は、それが何であるかを主が示してくださると信じており、実際に示してくださいました。それ以来、私はずっとその指示に従って生きています。

私の主との体験は、使徒パウロがエペソ3章8節で述べたことと非常によく似ています。「すべての聖徒たち(神に聖別された人々)のうちで一番小さな私に、この恵み(好意、特権)が与えられたのは、私がキリストの測りがたい(無限で、果てしない、数えきれない、尽きることのない)富[人が探し出すことができない財産]を異邦人に宣べ伝え」。

これについて考えてみてください。もし、主が最もふさわしい人を探していたのなら、イエスはシーザーから生まれ、宮殿で育つべきだったのでしょうが、そうではありませんでした。聖書には「兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません…」(第一コリント1:26-27)とあります。

第二コリント3章5節には「何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです」とあります。この「資格」という言葉は、巧み、または能力とも訳すことができます。神はあなたを召され、あなたが神の働きを果たすように、超自然的な力をあなたに授けられたのです。決して自分を卑下したり、あなたには特別なところがないと思ってはいけません。主はあなたを有能にしてくださったのです。ですから、あなたの物理的な能力を超えて見てください。いつもあなたは主にとって特別な存在であり、主があなたの人生への主の召しを果たすために、神性の力を与えてくださったことを覚えていてください。

祈り
愛する父よ、私を愛し、主の栄光のために私の人生を計画してくださったことを感謝します。主は私を主の特別な働きのために聖別され、栄光の福音を私に委ねました。私を通して、多くの人がキリストを知り、キリストにある相続を受け継ぐようになるのです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(エペソ3:8)すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、

(ヨハネ15:16)あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

(ガラテヤ1:15-16)けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、

(第二コリント3:5)何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。