He Responds To Faith
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(1ヨハネ5:14)
今日の御言葉の前半は、あなたの願いが父の御心と一致しているかについての言及ではありません。むしろ父が願いを聞いて下さることについて話しています。あなたは神の御志が何かを聞きながら、神の御心に従って祈ると、神は答えられます。
神は祈りに対する御旨、つまり意図と計画を持っています。祈りに対する神の御心は、あなたがイエスの御名によって祈ることです。そうしないと、昼夜も問わずに泣き叫んでもあなたの祈りは聞こえないでしょう。
マルコ9章の記述で、「ダビデの子よ、わたしをあわれんでください」と叫びながら、イエスの後ろについて行った盲人二人を思い出してください(マタイ9:27)。イエスは彼らに何も言われていませんでした。彼らは、イエスを追いかけながら泣き叫びました。それでも、イエスは応答しませんでした。最終的に、イエスは彼らに、「わたしにそんなことができると信じるのか?」と言われました。 そうすると彼らは答えました。「はい、主よ」(マタイ9:28)
聖書によると、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」(マタイ9:29)と言って、立ち去りました。あなたは盲人らのしつこい泣き声のせいで、主はすぐに彼らに応じられたと、思ったかもしれませんが、そうではありません。主はあなたの涙ではなく、あなたの信仰に感動されます。
別の機会に、ひとりの女は、弟子たちが止めさせるまで、イエスの後について行きながら叫んでいました。そこで弟子たちは、イエスの御もとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言いました(マタイ15:23)。しかし、イエスは彼女が叫びを止めるまで、一言も答えませんでした。その後、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」(マタイ15:25)と言いました。どれほど泣き叫ぶかが重要ではありません。あなたは御言葉に基づいて行動しなければなりません。
感情を抱きながら神に向けて礼拝し、交わりの中で泣くのは大丈夫です。しかし、痛みや病気、仕事、ビジネスでのトラブルの結果として泣いて、あなたが神の応答を望んでも、何も変わりはありません。
神の御心は、神の言葉に明らかにされているので、あなたに必要とするものは、神の御言葉に対する知識なのです。異言の祈りと、御言葉を勉強は多くするほど、主の御心はあなたにとってさらに明らかになります。神をほめたたえます!
祈り
愛する御父よ、祈りの特権と機会に感謝します。父の御心は、御言葉を通して私の霊に明らかにされます。私の人生は、父への奉仕において愛と力に確信を持っています。イエスの御名でお祈りします。アーメン。
参照聖書
(1ペテロ3:12) 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」
(ローマ8:26-27) 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
(ルカ12:32) 小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。