He’s Our Heavenly Father
「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(1ヨハネ4:7-8)
神はあなたの御父です!主イエスは、ヨハネ20:17でマリアに「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」と言われたとき、これを確認してくださいました。イエスは神がご自身の父であられることを知っていました。そして今、イエスは神を私たちの愛する天の父と呼んでいます。確かに神は私たちの御父であり、私たちは神の子どもです。
1ヨハネ3章1節では「私たちが神の子どもと呼ばれるために――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」 この節に込まれている能力や意味がどれほどすばらしいでしょう! 私たちが神の 「子」と呼ばれるために、神は私たちに主の愛を注いでくださいました!それが何という意味なのか、わかりますか?それはイエスが神の御子であることと同じ意味で、私たちも神の子どもであることを意味します。
ご存知のように、それがユダヤ人がイエスに死んでほしいと思った理由でした。ユダヤ人は、イエスが「わたしは神の子です」と言われるのを聞きました。彼らは「ただの人にすぎない者が、あえて自ら神と等しいとするのか。」と言いました。「このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。」(ヨハネ5:18)
私たちが上記で読んだ1ヨハネ3:1の後半には、「…世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」と記されています。この世はイエスが地を歩いたときにイエスが神の子であることを悟らず、神が私たちの父であり、また私たちは神と同じ命と本質をもった合法的かつ実際的な神の子どもであることを知りません。それでも「私たちは、今すでに神の子どもです。」(1ヨハネ3:2)
新しく生まれ変わったあなたは、神に対して生かされ、神が御父であることを目覚めました。永遠の命があなたの霊に与えられたので、とても実在的な神との交わり、すなわち、神との一体としての存在であります。「 そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」(ガラテヤ4:6)
祈り
愛する御父よ、私を愛し、イエスを送ってくださり、私の罪の贖いのため私の代わりに死をもって見せてくださった御父の偉大な愛に感謝します。今、私は、主を愛する御父と呼ぶことができます。私への御父の愛が永遠であることを知っているため、私は恐れず、確信を持って歩きます!このような私を輝かしく御父と一体のうちに導いてくださって、ありがとうございます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(1ヨハネ4:16-19) 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
(ヤコブ1:18) 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
(へブル2:10) 神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。