Our Confidence In His Righteousness

「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。」(ロ―マ8:3-4)

使徒パウロは、改心する前、律法という義を守ることについて非難されるところがないと誇りを持っていました。パウロは、「ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものにおいても頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。」(ピりピ3:4)と語りました。彼はさらに、人間的なものについて、このように続けました。「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。」(ピりピ3:5-6)

人間的観点では、パウロは律法を完璧に守りました。しかし、神は、パウロの人生に不完全さを見せたので、パウロは、いわゆる良い行いも、自分自身の義に対する確信も、何の役にも立たないと認めました。

御言葉は、律法は何事も全うしなかったので、さらにすぐれた希望が導き入れられる(へブル7:19)と、明確に語っています。神をほめたたえましょう!使徒の働き13:38-39では、「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方に(イエス・キリスト)よるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」と言われています。

宗教的行いで、神を感動させようとしないでください。神が祈りに答えてくださる理由は、あなたがここ数週間の間、何の悪いことをしていないからだとは思わないでください。そうではありません!神の義がキリストの中で成就され、あなたがイエスの御名によって祈るときに、あなたの祈りを聞いて答えられるでしょう。福音の核心とは、あなたがキリストにあって発見されることです。あなた自身による義ではなく、神の義に抱かれ、確信することです。(ピりピ3:8-9)

告白
私は、私がキリスト・イエスにあって義とされたことを大胆に主張します。私は私の感覚によって歩むのではなく、聖霊によって歩みます。なぜなら、律法の義が私の中で成就されたためです。私は今日も義の意識を持って行います。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
Ⅱコリント5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

ローマ3:21-26  しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。 22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。 23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。 26 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。