Do It For His Glory
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」(ピりピ2:3)
詳訳聖書古典版は、今日の聖書箇所をより明確な視点から述べています。「何事をするにも、派閥的な動機から[対抗意識、闘争、利己心によって、つまらない目的のために]、あるいは自負心[見せかけだらけのごう慢]に促されて、行ってはなりません…」それは、第一列王記18章の、預言者エリヤと偽預言者バアルの対立を思い起こさせます。
ある人はその部分を研究して、エリヤがしたことは自分自身を投影して他の人に拍手かっさいしてもらうことだという考えに至りましたが、それは真実ではありません。預言者エリヤはアハブ王に、イスラエルの民と偽りの神の預言者たち、(バアルの預言者450人とアシェラの預言者400人)をカルメル山に集めるように命じました。彼らはいけにえを用意して、天から火を降らせて、そのいけにえを焼き尽くすことになっていました。成功した者は、真の預言者として明らかになることになっていたのです。
それぞれのむれは祭壇の上に雄牛を備え、天から火を送るように自分たちの神に呼びかけました。バアルの預言者たちは身を切って、神を呼び、泣き叫びましたが、彼らの神からの応答はありませんでした。エリヤの番になると、彼はいけにえに水をかけました。そして神に呼びかけると、神は天から火をお遣わしになりました! 火は完全にいけにえを飲み込まれました。
第一列王記18:36の、エリアの言葉を読んでください。「…アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。」彼は神の霊の導きに従っていたのです。アハブとの対決は、エリヤの自己顕示欲や自尊心からではなく、ただ主の導きに基づいていたのです。
結果を見てください。イスラエルの民はアハブへの信仰を失い、神の主権を信頼し、エリヤの導きに従うようになったのです。エリヤがしたことは、民の前で、イスラエルの神である主の栄光を讃えたのです。これがここでの核心です。あなたが主のためにすることは何であれ、利己的な野心やうぬぼれからであってはいけません。主の栄光のためでなければいけません。あなたは、エリヤがしたように、御言葉の内に、御言葉によって、御言葉を通して、御霊に従うことを学ばなければなりません。そうすれば、あなたの働きと、あなたの道は、主の栄光を現すことになるでしょう。
祈り
愛する父なる神様、主の御言葉は、私の考え、計画、決断を導く光であり、栄光に満ちた人生を歩むのを助けてくださいます。私はあなたの導きにのみ従い、私の心にうぬぼれはありません。主の御言葉を通して、私は神の御国の奥義とその実在を知るための方向、啓示、洞察力を受け取ります。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
参照聖書
(1列王記18:30-39) エリヤが民全体に、「私のそばに近寄りなさい。」と言ったので、民はみな彼に近寄った。それから、彼はこわれていた主の祭壇を建て直した。31 エリヤは、主がかつて、「あなたの名はイスラエルとなる。」と言われたヤコブの子らの部族の数にしたがって十二の石を取った。32 その石で彼は主の名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の回りに、二セアの種を入れるほどのみぞを掘った。33 ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、
34 「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ。」と命じた。ついで「それを二度せよ。」と言ったので、彼らは二度そうした。そのうえに、彼は、「三度せよ。」と言ったので、彼らは三度そうした。35 水は祭壇の回りに流れ出した。彼はみぞにも水を満たした。36 ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行なったということが、きょう、明らかになりますように。
37 私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」38 すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。39 民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。