5月9日(火)
神のご計画と個人的な選択
Predestination And Personal Choice

「 私たちは神(ご自身)の作品(傑作品)であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られた(新しく生まれた)のです。神は、私たちが良い行ないに歩む(神があらかじめ準備された道を歩む)ように、その良い行ないをもあらかじめ備えて(前もって計画されて)くださったのです。(私たちが生きていくために、神があらかじめ準備し、整えてくださった善き人生を生きるのです)。」(エペソ2:10 AMPC)

時々人々は、あらかじめ備えたものはあるのでしょうかと尋ねています。「神が私の人生をあらかじめ定められていたと言えるのでしょうか」答えはもちろんです! 聖書には、神があらかじめ備えられたと書かれています。私たちが今日の御言葉を読んだところです。

また、ローマ8章29-30節は述べています。「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」

そこで、疑問が生じます。では、神は私の人生に起こるすべてのことに責任があるのでしょうか。そうではありません。なぜなら、あなたは自由意志を持っているのです。あなたの決断と行動には責任があります。大人になれば、あなたは自分の人生に責任を持ちます。そしてあなたのためにある神の運命と完全な御心に沿った正しい決断をするのはあなたにかかっているのです。

神があなたの人生を運命づけられたからと言って、自動的にあなたがそのようになったり、実現したりするわけではありません。人は必ずしも、神がご計画されたとおりの人間になるとは限りません。神の人生の計画を実現し、神が運命づけられたとおりの自分になるかどうかは、あなた自身が選択することなのです。

パウロは、コロサイ教会への手紙の中で、アルキポに具体的な指示を送り、こう告げました。「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように」(コロサイ4:17)。もし、アルキポに神から託された務めを果たす責任を持っていなかったら、パウロはその務めを果たすようにと指示することはなかったでしょう。これは、アルキポが自分の役割を果たさない可能性があるという意味です。

神があなたのためにあらかじめ定められたすべての存在となり、神があなたに成し遂げるようにあらかじめ定められたすべてのことを行い、神があらかじめ定められた道を歩くと心に決めてください。

告白
私は、あらかじめ定められた道を歩き、神が呼ばれた機会の場に正しく位置づけられ、成功、栄光、勝利そして神聖の運命である道を歩んでいます。私の人生における出来事の流れは、神に栄光をもたらすように仕組まれたものです。神は私の中で、御心と喜びを行われるために働いておられる方なのです。ハレルヤ!

参照聖書
(ローマ8:29-30)なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

(ローマ12:2)この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

(エペソ1:11) 私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。