CONSECRATED UNTO HIM

「これらはアロンの子らの名であって、彼らは油そそがれて祭司の職に任じられた(聖別consecrated)祭司であった。」(民数記3:3)

聖別(Consecration)とは、いけにえと礼拝のために聖なるものとして区別することで、旧約聖書で主に使われている言葉です。また、神に仕える司祭たちの「聖別」を表すにも使われています。一般的には、神に対する礼拝または奉仕のために、誰であれ、または捧げものすべて聖なるものとして区別することを指します。

旧約聖書において、レビの部族は司祭の職で、神の奉仕に聖別されました(民数記3:12)。ヘブル人は自分たちの畑や家畜、時には戦利品を主に聖別して捧げました(レビ記27:28-29)。また、律法によって、人や初子として生まれた家畜は、神に聖別されました。しかし、新約聖書の私たちについては、私たちの行ないのためではなく、神の選択によって、私たちは主に聖別された者と述べています。

1ペテロ2:9は言っています。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」しかし、あまりにも多くの神の民は、この重要な聖別された生活の中で生きていません。結果として、彼らは、神に聖別されたという知識を持って、機能して生きる祝福を逃されました。私たちは罪、病気、貧困、死から離れて、義、神聖さ、勝利、繁栄、神聖の健康に聖別されました。このように自分自身を見て、それに応じて歩いてください。

エペソ1:4は「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」と言っています。私たちは神に「召された」ものです。神が選んで聖なるものとされました。私たちが愛の神の御前で聖く、傷のない者とされたことは不思議ではありません。ハレルヤ!

告白
神の神聖な目的のために選ばれ、神に聖別されたということは、なんという祝福でしょう!私はイエスに属しているから、神聖で聖い者です。私の人生は礼拝と奉仕のために、神に聖別されました。神の義はいつも私の中に、そして私を通して現されます。神聖さ、成功、勝利、繁栄、神聖の健康のために、私を聖別された主の恵みに感謝します。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(出エジプト記28:41) これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。

(出エジプト記19:6 ) あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」

(黙示録1:6 ) また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。