7月22日(土)
神から生まれた
Born Of Him

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12-13)

クリスチャンは普通の人ではありません。クリスチャンは、神のような類い(たぐい)で生まれた者です。新しく生まれ変わった、あなたは神のご性質にあずかる者となり、神の類いの仲間になったのです(2ペテロ1:4)。血のつながった両親から生まれたとき、あなたは人間と同じ仲間でした。あなたを生んだ両親と同じ人間に生まれたのです。

しかし、あなたが両親からもらったその人間の命は、堕落し、死を運命づけられ、朽ちていくものでした。ですから、その命は、神の命と性質に取って代わられる必要があったのです。それで、イエスは次のように言われたのです、「あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」(ヨハネ3:7)

あなたが生まれ変わった今、不屈の、朽ちない、超越的な神の命が、人間の命に取って代わったのです。私たちは文字通りに神の子であり、神から生まれた存在なのです。この事実は自然的な心にとっては、まったく無理なことです。

使徒ヨハネがこう言っているのも不思議ではありません。「私たちが神の子どもと呼ばれるために、—事実、いま私たちは神の子どもです—御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。…愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。」「子ども」と訳されている言葉は、ギリシャ語の「テクノン(teknon)」であり、実際にだれから生まれた者を指すのです。直接自分が産んだ「子」ではない、意味も含んでいるギリシャ語の「フオイス(huois)」とは対照的です。

使徒ヨハネは、あなたが実際に神から生まれたことを強調するために、「テクノン(teknon)」という言葉を用いています。命のあらゆるものは、その種類に応じて繁殖します。鷲は鷲を産み、犬は犬を産み、人間は人間を産むのです。さて、神が私たちを生んだのなら、私たちはどのような者なのでしょうか?

主イエスは、詩篇を引用して、私たちに答えを与えています。「あなたがたの律法に、『わたしは言った、おまえたちは神々である』と書いてはないか」(ヨハネ10:34-36)。イエスが地上を歩いたときと同じように、自分についても考えてみてください。イエスの並外れた歩みを見て、その生き方を思い出してください! 御言葉はこう宣言しています。 私たちもこの世にあって、キリストと同じようなものなのです。(1ヨハネ4:17)ハレルヤ!

祈り
愛する父よ、私は主の神聖な命が私の全存在、つまり霊、たましい、体へと完全に浸透させた永遠の命の重要な経験を感謝します。主の神性が私の中に、そして私を通して完全に現されているので、私は義と栄光と勝利の中を歩んでいます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(2コリント5:17)だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

(ヨハネ10:33-36)ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った、あなたがたは神である。』と書いてはありませんか。 もし、神のことばを受けた人々を、神と呼んだとすれば、聖書は廃棄されるものではないから、 『わたしは神の子である。』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している。』と言うのですか。

(1ヨハネ5:11-12)そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。