2024年9月23日(月)
王国と神の御心
The Kingdom And His Will

「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイ6:10)

主イエスが「御国が来ますように…」と言われたのは、当時、世界が別の王国に支配されていたからです。その時は、主イエスの死、葬り、復活、昇天の前のことでした。つまり新しい被造物の到来の前でした。

しかし、イエスが復活し、ペンテコステの日に聖霊が下って新しい被造物が始まった以来、私たちはもはや「御国が来ますように…」と祈ることはありません。なぜなら、イエスはこの祈りを実現するために来てくださったからです。私たちは今、キリスト・イエスの救いによって王国を受けたのです。「こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。」(ヘブル12:28 CJB)

また、「御心が天で行われるように、地でも行われますように。」と言われたのは、当時、神の御心が地上で行われていなかったことを示しています。しかし、今日で神の御心の完成は教会を通して成し遂げるのです。パウロが「これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、」(エペソ3:10)と語っているのも不思議ではありません。

つまり、私たちは神の御心を地上に確立する使命を担っているのです。私たちは神の御心を積極的に実行し、日々の生活や行動の中でそれを実行し現すのです。イエスが弟子たちに「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言われたように、主は私たちにその使命を与えてくださったのです。今、この地と人々の生活の中で神の御心を実行し、築くのはあなたの責任です。

それで、私たちは生まれ変わった後もこの地に残っているのです。もし救いの唯一の目的が天国に行くことであったなら、私たちは生まれ変わると同時に天に行ったはずです。しかし、私たちは目的を果たすためにこの地上に残されているのです。私たちは、私たちの中に王国を携えているのです。私たちがどこへ行こうとも、王国は私たちと一緒に行くのです。

2コリント5章20節には、こう書かれています。「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」キリストの大使として、私たちは天の王国を代表しているのです。この意識は、神の御心を現し、私たちが神の王国のメッセージを世界中に広めるという、神聖な使命を果たす力を与えてくれます。

祈り
愛する父よ、王国の大使となり、神の御心を地上に確立する特権に感謝します。まだ救いを受けていない人々が救われ、暗闇から神の子たちの栄光ある自由へと移ることができるように、神の真理を宣べ伝え、王国の栄光、美しさ、素晴らしさを広め、現します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(コロサイ1:12-13)また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。

(1 ペテロ 2:9)しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

(ローマ 12:1-2)そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。