2024年6月24日(月)
理解が重要である
Understanding Is Important
「主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。」(箴言2:6)
箴言4:7には、「知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。」とあります。この箇所は、あなたが追求すべき最も重要なことは、お金や友人でもなく、知恵であることを強調しています。そして結びの部分で、「…あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。」と言っています。それが、私が強調したいことです。 理解が重要です!
悟りが重要なのです。8節では、理解についてこう書かれています。「それを尊べ。そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。」では、あなたは昇進を望んでいますか?そのためには、あなたは理解を高める必要があります。そうすれば、その理解はあなたを昇進させ、誉れへと導いてくれるでしょう。
第9節もまた美しく、理解があなたのためにしてくれることについてさらに言及しています。「それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、栄光の冠をあなたに授けよう。」理解はあなたに栄光の冠を授けるのです。ハレルヤ!
主イエスでさえ、ルカの福音書8章5節から15節で種まきのたとえを話され、説明されたときに、理解がいかに重要であるかを教えられました。(参照全部を勉強してください。) 12節で、主イエスは、種を蒔く人が種(種は神の御言葉)を蒔いたとき、道端に落ちた種は「…みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、…その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです…」と説明されました。
しかしマタイは、そのような人々に実際に何が起こったのか、なぜ悪魔が彼らの心から御言葉を奪うことができたのかについて、より良い洞察を私たちに与えてくれました。それは、彼らに理解が欠けていたからです。 「ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。」(マタイ13:18-19)
神の言葉を理解できないことがどれほど恐ろしいことかおわかりでしょうか?箴言8章14節で、知恵はこう言っています。「摂理とすぐれた知性とはわたしのもの。わたしは分別があって、わたしには力がある。」 これは驚くべきことです!
そして、箴言8章15節から20節に行っています。「わたしによって、王たちは治め、君主たちは正義を制定する。私によって、支配者たちは支配する。高貴な人たちはすべて正義のさばきつかさ。…富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある。わたしの実は黄金よりも、純金よりも良く、わたしの生み出すものはえり抜きの銀にまさる。わたしは正義の道、公正の通り道の真中を歩み、」
あなたの人生を神の知恵である神の言葉に根差し、御言葉を理解することに注意を払ってください。キリストはあなたの内におられます。神はあなたの知恵です。それゆえ、あなたには理解する心と思考があるのです。聖書には、神の言葉、すなわち御国の奥義の理解力があなたに与えられていると書かれています。だから、たびたびこう宣言してください。「私は、あらゆる知恵と霊的理解において、神の御心を知る知識に満たされています。」ハレルヤ!
祈り
愛する父よ、私の人生とミニストリーにおける理解の重要性を認めます。私は、あらゆる知恵と霊的理解力において、父の御心を知る知識に満たされていることを宣言します。御言葉の理解は、私を高め、昇進させ、誉れをもたらし、私に栄光の栄冠を戴かせ、それとともに、私は勝利して生きるのです、イエスの御名によって祈ります。アーメン。
参照聖書
(箴言8:14-20) 摂理とすぐれた知性とはわたしのもの。わたしは分別であって、わたしには力がある。15 わたしによって、王たちは治め、君主たちは正義を制定する。16 わたしによって、支配者たちは支配する。高貴な人たちはすべて正義のさばきつかさ。17 わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。18 富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある。19 わたしの実は黄金よりも、純金よりも良く、わたしの生み出すものはえり抜きの銀にまさる。20 わたしは正義の道、公正の通り道の真中を歩み、
(ルカ8:5-15)「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。6 また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。7 また、別の種はいばらの真中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。8 また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスは、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい。」と叫ばれた。9 さて、弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエスに尋ねた。10 そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。11 このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。12 道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。13 岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。14 いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。15 しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。