4月11日(月)
水を運ぶ雲
Water-carrying Cloud

「天よ。上から、したたらせよ。雲よ。正義を降らせよ。地よ。開いて救いを実らせよ。正義も共に芽生えさせよ。わたしは主、わたしがこれを創造した。」(イザヤ45:8 )

ユダは書簡の中で、神の民が偽教師の攻撃から信仰を守るために熱心に争うよう訴えています。ユダ書4節で、彼は、なぜ私たちが積極的に真理を守らなければならないか、それは神を信じない人たちがこっそりと忍び込んできたからだと説明しています。彼らは自分たちの不道徳なやり方を言い訳にするために、神の恵みに関するメッセージを歪めて、イエス・キリストを最高権威者、主であると見なさない者たちです。

さて、ユダが11-12節では、この同じ人々について、どのように語っているかに注目してください。「忌まわしいことです。彼らは、カインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました。彼らは、あなたがたの愛餐のしみです。恐れげもなくともに宴を張りますが、自分だけを養っている者であり、風に吹き飛ばされる、水のない雲、実を結ばない、枯れに枯れて、根こそぎにされた秋の木」(ユダ1:11-12)。ユダは彼らを「風に吹き飛ばされる、水のない雲、実を結ばない、枯れに枯れて、根こそぎにされた秋の木」と呼んでいました。

しかし、主は私たちを何と呼んでおられるのでしょうか。まず、イザヤ61章3節を見てください。「シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。」私たちは義の木であり、義の実を結ぶ者です。

また、聖書によれば、私たち一人ひとりは雲であり、栄光の雲、水を含んだ雲なのです。ヨハネ7章38節には「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」とありますが、これは非常に重要なことです。私たちは生ける水の泉なのです。あなたの雲から、義と救いが地上に降り注ぐのです。水を運ぶ雲として、あなたは、今日の御言葉にあるように、地上に義と救いを注ぎます。

祈り
愛する父なる神よ、私は水を運ぶ雲であり、常に聖霊で満たされ、霊によって仕え、主に向かって心の中で歌い、メロディを奏でています。私の心の奥底から生ける水が湧き出で、義、救い、癒し、繁栄、勝利の雨を降らせます。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参考聖書
(ヨハネ4:14)あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

(イザヤ45:8 NIV)天よ。上から、したたらせよ。雲よ。正義を降らせよ。地よ。開いて救いを実らせよ。正義も共に芽生えさせよ。わたしは主、わたしがこれを創造した。