Righteous By Nature
「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。」(ローマ5:19)
ローマ6章14節では、「罪はあなたがたを支配することがない。」と言っています。新しく生まれた人は、罪と関係なく、生まれたからです。一方、回心していない人、つまり生まれ変わっていない人は、本性上、罪人であり、罪に服従している人です。罪の性質により、願われなくても、罪から逃れることはできません。
しかし、これが新しく生まれ変わったあなたの場合には当てはまりません。新しい誕生の故に、神の性質である義は、あなたの霊に与えられました。あなたは、その義を求めるなど、義とされるために何の努力もしませんでしたが、義の性質を持つようになりました。神がそれを成さてくださいました。あなたの義はキリストの義であり、あなたの「業績」とは何の関係がありません。それは神の賜物です。(ローマ5:17)
あなたの人間的な完璧さを通じては、義人になることはできないように、キリストの中であなたの義のために、あなたがする事は無いので、それを奪われることもありません。あなたは今まで以上に、今日義人なのです。しかし、それよりもさらに良いことは、イエスご自身があなたに義を与えられたことです。それを考えに入れると、あなたはイエスと同じくらい、義と認められるでしょう。 あなたの人生の中で、イエスを主と告白したとき、イエスの義は、あなたの罪の性質を取り替えられました。
「悪いことをしたとき、どうなりますか。それは私の義に影響を及ぼしますか」と思うことがあるかもしれません。まず、あなたの義は、あなたの良い行いが必要条件となっているのではありません。 エペソ2:9では、「行ないによるのではありません。…」と述べています。このように考えましょう。子供が生まれると、子供が成長するにつれて、人間になるのではありません。子供は既に完璧な人間です。その後、子供は自分が持っている人間の能力、つまり足と手、目、脳、心などを正しく使う方法を学び始めます。
子供が訓練し教育する過程で、子供の失敗や間違いがあったとしても、その子供は人間であることに変わりはありません。子供は本質的に人間であって、行動によるものではありません。私たちの義も同じです。私たちは本質的に義です。したがって、義の実を結んで行うことが、私たちの「デフォルト(基本)設定」です。だから、神の命の生き方を学びましょう。神に栄光がありますように!
告白
私はキリスト・イエスの中で神の義です。それゆえ、私はいつでも、あらゆる方法で神を喜ばせることができます。なぜなら、私のためにご自身を与えられた神の御子を信じる信仰によって生きるからです。キリストが私に新しい命を与えたので、私は罪と関係がありません。私は神に対して生きており、義と認められて歩いています。アーメン。
参照聖書
(ローマ6:11-14) このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。
(ローマ5:17) もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。
(2コリント5:21) 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。