Be Inspired By His Hope

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)

聖書には、来たるべき世界に存在する原則の一つとして「希望」が挙げられています。希望とは、未来を期待し、予測する力のことです。イエスは、ヨハネ17章で、弟子たちを父の御手にゆだねるとき、美しく感動的な祈りの中で希望を示されました。「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします…」(ヨハネ17:20-22)

イエスが、どうようにして弟子たちだけでなく、彼らの証しによって、イエスを信じるようとする人々の将来への希望で、父なる神を信頼していたのか驚くべきことです。

このような大きな希望を示された例がもう一つあります。それは、イエスがゲツセマネの園で、汗が血の滴のように出てくるほど、魂の苦しみをもって祈られたときです。しかし、その祈りの内容に注目してほしいのです。聖書によるとイエスは「…わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」(マタイ26:39)と祈られと述べています。

イエスは信仰の方でしたが、この文脈では希望を持っていました。希望の結果によって十字架に耐えられたのです。イエスは、十字架にかかっている間、希望を示してくださり、死の中でさえも希望を示されました。これこそがパウロが「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(第二コリント5:17)言った時に言及したキリストです。

今、あなたは主の中にいるので、死に直面しても、父にあって希望を持つことができます。あなたは、キリストに公に反対している人々が、本当に主を信じ、タルソのサウロのように彼らの心を主に向け、聖霊の力によって魂の救いを受けるように、祈りの中で希望を持つことができますか。

希望の重要性を学んでください。「この希望は失望に終わることがありません。神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)。主の希望にインスピレーションされてください。その希望は、聖書が言うように、魂の錨のように支えとなります。「それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。――前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし…」(ヘブル6:18-20)とあります。ハレルヤ!

祈り
愛する父よ、主の御言葉を通して、私の勝利、成功、達成が続いていることに希望を持ちます。私は世界中の魂のために祈ります。 主の御名の賛美と栄光のために、この終わりの時に大きな恵みが彼らに向けられ、 福音を聞いた彼らの人生に救いの御業が起こりますようイエスの御名によってお祈りします。ハレルヤ!

参照聖書
(ローマ4:18)彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

(へブル6:19 AMPC)この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。

(詩編71:14)しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。