Be Hospitable And Kindhearted

“兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人を[兄弟愛で、親切、優しく寛大に、あなたの家と施設を共有し、豊さであなたの役割をし]もてなすことを忘れてはいけません[どんな場合でもそうしましょう]。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。”(ヘブル人への手紙13章1-2節 AMP)

 見知らぬ人を温かくもてなしと思いやりをもつことは、あなたの中にある神の本質の表示です。イエスは言われました。「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい(ルカ6:31TLB)」と言いました。親切は、私たち自身のためでなく、人のためにします。もっぱら主だけが報いて下さることができる人に、親切を表すように、決断してください。

 キリスト者の命は、神が私たちに値なしに、迷わず与えてくださった愛の命です。その愛があなたの故に、他人のことを思い、それほど当てはまる資格がないように見える人々までも、ありのままの状態で受け入れるのです。甚だしく私たちは見知らぬ人まで親切と思いやりを持つように促されています。ある人々は、親しくない他人に正しくもてなししません。彼らは見知らぬ人々には関心を持たず、そして助けたいという思いもありません。しかし聖書は、私たちがおもてなしすることを忘れてはならず、いかなる人々は、こうして、御使いたちを何も知らずに、もてなしをしたと言います。

 聖書には、御使いたちが平凡な人間の姿として、普通の人々のふだん着の格好で現わす場面が何度も出ています。例えば、聖書は創世記18章2節で、アブラハムの前に現れた三人の男たちを話します。その一人は主であり、残りの二人は御使いたちでした。その二人の御使いがソドムとゴモラへ行った時にも、その町の人たちは彼らを普通の人で見ました。彼らの姿が人と同じに見えたからです。また、新約時代でも、人間の形をした御使いの現れがあって、今日も相変わらずその様なことがあります。

 御使いたちは栄えある形や、人のように美化された形やどんな形で現れる権限を持っています。そのため、私たちは見知らぬ人にも親切でないといけません。他人を助けることを躊躇せず、知人だと思って心を配り、優しさで変に思わないように誠意をもってしましょう。

祈り
神様の愛が聖霊によって私の心に注がれ、私は満たされています。私はいつも愛によって動き、霊感を受けます。私は親切で、見知らず人に心を配り、寛大します。私は神様の知恵によって導かれ、キリストの愛を全ての人に明らかにします。イエスの御名の中で祈ります。アーメン。

参考 聖書
マタイの福音書 25章34節35節 
ヘブル人への手紙 13章2節3節