2025年5月7日(水)
教会に留まり、専念する
Stay And Be Committed In Church

「また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。」(コロサイ1:18)

他人の言動に腹を立てて教会に行かなくなった人もいます。そうあるべきではありません。何があっても教会に行くのをやめたり、交わりから退いたりしてはならないのです。教会に留まり、主に仕えることに専念してください。

悲しいことに、家庭で育ったのと同じ態度を教会に持ち込む人がいます。親に叱られたり、嫌なことをされたりして、家を出て、二度と戻らないことを選んだのかもしれません。彼らは、間違いを正されることに対する抵抗感や赦せない気持ちが芽生え、教会にもそのような気質を持ち込んでしまうのです。それは間違っています。キリストにあって、私たちは謙遜と愛のうちに矯正と指示を受け、傷つけられたときに赦すことを学ぶのです。

救いは、イエスがあなたの人生の主であることを意味するものです。あなたはもはや選んだものをあなたが望むようにすることはできないのです。これ以上、あなた自身の人生ではないのです。主イエスは「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18)と言われました。主イエスの教会には、主の定められた体制があるのです。

聖書はこう言っています。「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全なおとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:11-13)教会には秩序があり、クリスチャンとしてその秩序を守るのは、イエスが私たちの主であるからです。

霊的成長には、指示や霊的指導を受け、それに従うことを学び、訓戒を受け入れることが含まれます。これらは、あなたの思考が一新され、人生が変えられた証拠です。ですから教会であなたは、御言葉から受ける矯正、指示、導きによって成長し、クリスチャンとしての歩みがより効果的になるのです。

「牧師が言ったことで気分を害したから、教会に通うのをやめよう」などと言ってはいけません。主ご自身が教会の責任者であり、あなたは主に従っていることを忘れないでください。(ヨハネ10:4)そして、主の支配に従うことの一部は、主が教会に築かれた体制に従うことなのです。

祈り
愛する主イエスよ、私の人生の主であることを感謝します。私は主の導きと教会に築かれた秩序に従います。私は主との歩みや、主にある兄弟姉妹との交わりを、つまずきによって妨げることを拒否します。私が主に耳を傾け、成長し、忠実に従うことを教えてくださりありがとうございます。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(ヘブル13:17)あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。

(ヘブル 10:24-25)また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

(2 テモテ3:16)聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。