2024年10月12日(土)
携挙は空想ではない
It’s Not A Fantasy

「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」(1コリント15:51-52)

教会の携挙は、近いうちに突然起こるでしょう。あなたが準備ができていることを望みます。人々は日常生活を送っているうちに、突然、目を瞬きするほどの速さで、新しく生まれたすべての人がこの世からいなくなるのです。 携挙はそのように一瞬に起こるのです!

1テサロニケ4章16節から17節の記述を見てください。「 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、 」そして、2つ目のラッパが鳴り響き、それが最後のラッパとなるのです。その最後のラッパの音が鳴り響く時、聖書はこう言っています。「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」

主は天から下ってこられますが、地上に降り立つことはなく、空中で待っておられ、私たちは主に会うために引き上げられるのです。このすべては一瞬のうちに起こるのです。私たちは地上の存在から天上の存在へと変容し、そしてこの世からいなくなるのです。

私たちがこの世を去った後の見出しを想像してみてください。「彼らはいなくなった!」メディアは大混乱に陥り、私たちがどこに消えたのか、答えを見つけようとすることでしょう。しかし、答えは聖書の中にあります。その時、取り残された人々は、イエスを信じなかったことがとんでもない間違いだったと気づくことでしょう。

今こそ、主に情熱的に仕え、心から主を愛する時なのです。その時までに福音のために使われなかった物質的な財産、金、ダイヤモンド、衣類、クレジットカード、家、お金など、私たちが残していくものはすべて無意味になるのです。 携挙は空想ではなく、いつ起こるかわからない現実なのです。

この世のはかない宝物ではなく、上にあるものに心を向けて、 準備された状態で生活してください。イエス・キリストのためにベストを尽くし、揺らぐことなく、主の御業を熱心に行ってください。

告白
私の心は主と主の差し迫った再臨に集中しています。ですから、私は信仰と希望と愛をもって主の御業を担い、備えながら生きています。私は福音を伝え、携挙のために人々を備えさせるように御霊によって力を受けています。アーメン。

参照聖書
(マタイ24:42-44)だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

(1テサロニケ4:16-18AMPC)すなわち、主語自身が、御使いの頭の叫び声と神のラッパの響きのうちに、召集の大声を上げて天から下ってこられます。そして、キリストにあって地上の生涯が終わった人たちがまず第一によみがえります。それから、まだ[地上]に生き残っている私達が、空中で主と会うために[よみがえった死人といっしょに]雲の中に引き上げられ、こうして私たちは[永遠から永遠にわたって]主と共にいるのです。ですから、このような言葉を持って互いに慰め[励まし]あいなさい。