2024年4月11日(木)
主と結び合わされている
Bonded Together With Him

「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:30-31)

「待ち望む」とは、ヘブル語の「カヴァー(qâvâh)」から訳され、「集める」あるいは、おそらくねじって「束ねる」ことを意味します。ロープをねじって1本のロープにするようなものです。従って、預言者イザヤがこの節で語ったことを訳すには、文脈上、「待ち望む」は最も正確な言葉の選択ではないかもしれません。

例えば、創世記1章9節の創造の物語を読むと、同じへブル語の「カヴァー(qâvâh)」は、神が天の下の水を一か所に集めるように命じ、陸地を出現させたときに使われています。「神は仰せられた。『天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。』そのようになった。」

また、エレミヤ書3章17節では、人々がひとつになること、あるいは絆で結ばれることを強調しており、同じ言葉が使われています。「そのとき、エルサレムは『主の御座』と呼ばれ、万国の民はこの御座、主の名のあるエルサレムに集められ」

ですから、イザヤ40章31節が「主を待ち望む」人々について語っているとき、主とともに「集まっている」、あるいは「結び合わされている」人々と理解した方がより正確です。そのような人々は新しい力を得るのです。これは新約聖書に照らして考えると、私たちに何を語っているのでしょうか?

1コリント6章17節で言っています。「しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。」これで聖霊がなぜあなたのうちに住むようになったのか理解できるでしょう。あなたと聖霊は、その豊かな交わりの中で一つになったのです。それはいわば「一体」です。

私たちは神性と一体となったのです。それは切り離せない結びつきです。私たちは主の内におり、主も私たちの内におられるのです。神に栄光をささげます! 私たちが祈りの中で神との豊かな交わりを楽しみ、異言で祈ることができるのはこのためです。私たちは交わり、関係の立場、霊の一体に導かれたのです!ハレルヤ!

あなたは毎日、その交わりを楽しむべきなのです。その交わりは、入ったり、出たりするものではないのです。あなたは主の内に、主はあなたの内におられるからです。

祈り
愛する父よ、あなたとの絶え間ない交わりという特権と素晴らしい祝福を与えてくださる、あなたとの切り離せない一体に感謝します。この深い交わりの結果、私は主に仕え、主のために生き、私の人生に対する主の目的を果たすために強められ、活力を与えられ、絶えず燃えています。イエスの御名によってお祈りします。アーメン。

参照聖書
(1コリント1:9) 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。

(1コリント12:12-13)ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。

(エペソ5:30) 私たちはキリストのからだの部分だからです。

(ローマ8:11)もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。