2024年5月23日(木)
抑えきれない怒りを克服せよ
Conquer Unrestrained Anger

「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」(エペソ4:26)

幼児に怒っているというサインを見せることにお気づきでしょうか。残念なことに、この抑えきれない怒りを大人になっても持ち続ける人がいるのです。幼少期に身に付けた可能性のある抑えきれない怒りを認め、克服することは極めて重要です。

それは、民数記20章におけるモーセの話を思い出させます。イスラエルの子らは荒野で水を求めて渇いていたとき、モーセに叫びました。モーセがそのことを主に話すと、主はモーセに、イスラエルの子らの前に水が出るように、岩に語りかけると指示されました。(民数記20:8)

その指示とは、モーセが岩に語りかけ、彼らに水を与えることでした。モーセは岩を打つ必要はありませんでした。しかしモーセは、民の不満に対する怒りと苛立ちから、代わりに岩を打ちました。聖書はこう記しています。「 しかし、主はモーセとアロンに言われた。『あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。』」(民数記20:11-12)

確かに水は湧き出ましたが、その結果は悲惨なものでした。神はモーセが約束された地に入ることができないと宣言されたのです。この物語は、コントロールできない感情がいかに人生の歩みを妨げるかについて胸の痛みの例です。モーセは感情が自分の行動を左右するように放っておき、彼の抑えきれない怒りは彼が約束の地に入ることを妨げたのです。

ヤコブ1章20節にはこうあります。「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」あなたの怒りは決して神の義を生み出すことがないのです。 怒りは、神の御心に反する行動につながるのです。怒りは、そうでなければ取ることのなかった行動を起こさせ、思い直したときには手遅れになっているかもしれないのです。

ですから、御言葉によって怒りを克服してください。エペソ4章26-27節(TLB)にはこう書かれています。「怒っているなら、恨みを抱いて罪を犯してはならない。怒ったまま日が暮れてしまわないように、早くそれを乗り越えなさい。怒っていると、悪魔に大きな足場を与えてしまうからです。」

祈り
愛する父よ、神の義は私の行動を導き、いつも神の御心に沿って対応するように教えてくださいます。神の御言葉は私の心の中にあり、私が義のうちに歩み、神のうちに運命を全うするようにしてくださいます!私はいつも御言葉によって生き、私の心にある愛を解放します。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

参照聖書
(箴言14:29)怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。

(ヤコブ1:19-20)愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。

(コロサイ3:8)しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。