Graceful, Loving And Kind!
“「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、” (Ⅰペテロ 3:10)
唯一神の御言葉だけが、自慢心を規定することができます。神の御言葉を学び知るようになると、あなたは自分が高慢であるのかどうかを言うことができるようになるでしょう。誰かがあなたを高慢であると言われることもできますが、彼らは、それらを判断することができるめやすを持っていません。高慢は心から出るものなので、ただ神の御言葉だけがそれを判断することができます。
しかし、無礼は、心の霊から出るものではありません。あなたは、他の人々に答えたり助言したりする時、心の霊から良く、謙遜にすることもできますが、無礼にすることはできません。もしかしたら無礼にしようとは思わずに、あなたの答えが無礼であることもあります。これがまさに神の子どもとして、私達が意識的に正しく語ることを学ばなくてはならない理由です。正しい意思の疎通の方法を学ぶことは、霊的成長と自己開発の一部です。意識的にあなたが他の人々に語り方を向上させてください。
イエスが言われたことを聞いていた人々は、イエスについて“誰もこのように語るのを見たことがない”と言ったのを考えてみてください。彼らが、主の御言葉によって立てられました。彼らは主との意思の疎通によって、励まされ祝福を受けました。同じくあなたにも同じ証でなければなりません。あなたから出てくる言葉が周りの人々を掻き立てるようにしてください。“舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、”(Ⅰペテロ3:10)これが今日の本文箇所が言う部分です。言葉はあなたの人生と価値と人格を定義します。あなたが言う言葉の特徴は、あなたの人格の特徴なのです。したがって、いつでも慈しみ深い言葉を言ってください。有益な意思の疎通をしてください。ある人々は苦い根を心に許され、彼らの意思の疎通でそれが反映されるが、それは誤ったことです。それが何であってもあなたは、あなたの心やあなたの言葉に、絶対にその苦い根を許可してはなりません。
エペソ人への手紙4:31で、聖書はこのように言います。“無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。”したがって、無慈悲と批判と怒りを取り除いてください。傷つけるような言葉を取り除いてください。愛の中で歩んでください。あなたを愛する人々だけ愛を見せずに、あなたに敵対的だと思う人々も愛してください。いつでも慈しみ深く愛が感じられる言葉と行動をしてください。
祈り
祝福の父よ、聖霊様によって私の心の中に父の愛が溢れ流れるようにしてくださり感謝します。私は意識的に私の言葉と行動を通して、全ての人に私の霊の中にある父の親切さと忍耐と愛を現し、証明します。無慈悲と憎悪と高ぶりは私のものではありません。なぜなら私は続けて父の義と愛の中で歩んでいるからです。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
参考聖句
マタイ5:44