2022年3月28日(月)
キリストの中の安息
The Rest In Christ

「したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。」(ヘブル4:9-10)

今日の御言葉の下線部「神の安息にはいった者ならば…」に注目してください。その安息とは、キリストにある安息であり、肉体のための安息よりもはるかに大きなものです。それは魂の安息であり、どんなことのためにももがいたり苦しんだりしないのです。第二ペテロ1章3節は「…神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです」と述べています。

あなたの成功、繁栄、勝利、健康、偉大さに必要なものはすべて、キリストにおいて与えられているのです。それなのに、なぜ心配するのでしょうか。もはや人生で奮闘する必要はないのです。神の安息を楽しんでください。ハレルヤ!イエスは言われました。「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。」(マタイ6:25)

パウロは、聖霊によって教会に書かれたピリピ4章6節で「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」と言っているのです。この真理に気づかず、絶対的な安息と祝福に満ちた生活を送っていない人が大勢いるのです。彼らの仕事、ビジネス、プロジェクト、あるいは伝道の責任においても、彼らは一生懸命に苦労して働いています。とても小さい、しかも何の実もない結果のためにも熱心です。

もしあなたがそうなら、必要なのは心の一新です。私たちの葛藤や苦労は、神を喜ばせるものではありません。私たちを助けるために聖霊が遣わされたのです。ヨハネ14章16節(AMP)で、イエスは言われました。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主(慰め主、弁護者、仲保者、助言者、強め主、支持者)がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」主は今日、そして今、あなたの助け主としてここにいます。

あなたは一人ではないのです。キリストはあなたの中に、あなたと共におられます。一人で働き、一人で歩まないでください。キリストの安息の中で生きてください。聖書には、私たちが主と共に天の所に座っていると書いてあります。「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました」(エペソ2:6)。その座は苦難や葛藤、混乱のある場所ではありません。安息、統治、力、権威のある場所なのです。聖書は、すべての御業は創世のはじめからすでに終わったと言っています(ヘブル4:3)。今、主は 「すべてのものを楽しみなさい」と言っておられます。主の安息の中で生きてください。すべてのものはあなたのものなのです。

告白
アブラハムの子孫である私は、苦労することなく、栄光から栄光へと優れた人生を前進することができることは、私の相続の一部なのです。私は神の安息の中で永遠に生きます。今もいつまでも、私は神の栄光の中を歩き、神の愛と恵みと義を現しています。ハレルヤ!

参考聖書
(マタイ11:28-30)すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

(第一ペテロ5:7)あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

(マタイ6:25-34 MSG)だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。

けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。